因島ユネスコが再発足 会長に村上侑さん 日本連盟復帰を目指す
掲載号 06年07月22日号
前の記事: “学生が見た平成の大合併を検証 卒業論文・市町村合併 広島県豊田郡瀬戸田町を事例に【12】”
次の記事: “「海の日」記念式典 海事功労者18人を表彰”
因島ユネスコ協会の設立総会が19日、因島土生町のホテルみやじまで開かれ、会長に村上侑さん=重井町=を選んだ。県内の民間ユネスコ団体としては7団体目で、現在、37個人、5団体が加入している。
総会には24人が出席。村上会長は、民間ユネスコ運動の日である7月19日に再発足できた喜びを語り、「みんなの力で協会を発展させよう」と呼びかけた。さらに記念講演会や会員拡大などの事業方針を決めた。
因島ユネスコ協会は、1954年設立の県内で最も古い民間ユネスコ団体だったが、1984年日本ユネスコ協会連盟から脱退していた。22年ぶりの連盟復帰を目指すことになった。
資料によると、初代会長は赤松茂・日立造船因島工場長。個人会員400人、団体会員15団体と活動の活発さがうかがえる。
1975年、因島市で日本ユネスコ運動全国大会を開催。1999年からは「因島ユネスコ・フェアプレー賞」を設けスポーツ振興に貢献した人を表彰してきた。最近、ユネスコ会員綱領である、
- 心の中に平和の守りを固めよう
- 全ての人間の尊厳を重んじよう
- 教育・科学・文化の発展に努めよう
- 民族間の疑惑と不信をのぞこう
- 世界を友愛と信頼のきずなで結ぼう
ユネスコとはユネスコ(UNESCO)は、国際連合教育科学文化機関といい、本部はパリにある。第二次世界大戦が終わった1945年、人類が二度と戦争の惨禍を繰り返さないようにとの願いをこめて各国政府が加盟する国際連合の専門機関として創設された。日本は1951年に60番目の加盟国なった。
トラックバック