ブラジルに生きて50年【2】重井町出身実業家 村上佳和さん(65)ことじさん(62)

掲載号 06年06月24日号

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サントス丸 因島重井町出身の村上佳和さんが高校を卒業し、新天地をめざして神戸港からブラジルに向かったのは昭和35年4月2日のことであった。当時は就職難で5人兄弟の末っ子であった佳和少年は迷わずブラジル行きを決めた。神戸埠頭の見送りのなかに高校の担任だった松浦敬寿先生がいた。それがとても嬉しく励みになったという。

 ブラジル行きのサントス丸=写真右=に乗船した移住者は総勢640人。県内から15人くらい。多い地域は沖縄、鹿児島、熊本、大分、北海道だったと記憶している。

 現地に着くや向かった先は、サンパウロ市近郊にある日系人の経営する農場だった。そこはカリフラワー人参、キュウリなどの野菜を栽培していた。

 最初の契約では賃金は月額6000円ということだったが、実際はその8分の1で、ワインを1回飲んで日本へ手紙を送れば消えてしまうほどの無給状態同然であった。

 奴隷労働とも言える過酷な状態ではあったが、それに耐え抜けば、やがてある程度の資金提供を受けて独立できることもわかっていた。それにむけ準備を怠らなかった。

 現地の県人会に頼み、原始林を切り開いている奥地を旅行させてもらった。もちろん現金のない無銭旅行であった。

(次号に続く)

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村上佳和さん・ことじさんご夫妻(因島重井町みつばちにて)

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