明治・大正・昭和 島を救った除虫菊 今は観光栽培になごり

掲載号 06年04月29日号

前の記事: “麻生イトの実像に迫る 生誕130年記念誌発刊
次の記事: “どがいな事があっても守る 因島市漁協・曳舟保存会代表 箱崎 照男さん

0604280006.jpg しまなみ沿線の初夏の訪れを告げる風物詩、除虫菊がようやく開花し始めた。見ごろは少しずれこみ5月初旬から中旬になりそうだ。今年も恒例の除虫菊イベントが行なわれる。

 ところで、いつごろから観光用の花になってしまったのであろうか。除虫菊は明治17年ころ輸入されて、その優れた効用で駆虫用の農薬として珍重され、とりわけ蚊取り線香などの原料として広く栽培された。そして日本にとって重要な輸出品になった。

 第一次大戦の勃発とともに輸出は一層増大し、需要も著しく拡大するなかで、瀬戸内の島嶼部に巨大な産地が形成されることになった。その中心が御調郡重井村であった。降雨量の少ない乾燥した急傾斜の、花崗岩砂土の痩せ地が栽培に最適であった。重井村は、すべての畑地が白一色の花に埋まり、換金作物のなかった村の経済を救った。

 当時の畑作について「因島除虫菊の歴史」(因島重井文化財協会)は次のように描写している。

 除虫菊を主軸として、輪作の体系は薩摩芋を掘った後地に裸麦をまき、麦の生育中の初春にその株のほとりに除虫菊を植えつけ、麦を刈り取ったあとの菊畑の畝間へ黄蜀葵を栽培し、秋に黄蜀葵を収穫したあとが本格的な除虫菊畑となり、5月の中旬、一斉に開花した花を刈り取り、その後に薩摩芋を植える。その間作としてササゲ豆を収穫していた。

 ところが、合成ピレトリンの普及や安価な原料の輸入とともに、昭和40年ころを境に除虫菊栽培は衰退の一途をたどることになったのである。

除虫菊撮影会

 恒例の除虫菊撮影会が5月6日(土)午前10時から重井町の馬神の除虫菊畑で行なわれる。雨天の場合は7日に順延。主催は(社)因島観光協会。当初、1日の予定であったが開花が遅れて延期になった。

除虫菊神社例祭

 除虫菊を日本に導入した大日本除虫菊株式会社(KINCHO)の創業者である上山英一郎の功績を称える例祭が8日(月)午前11時から、尾道市向島町の亀森八幡宮境内にある除虫菊神社で行なわれる。

除虫菊花見会

 因島フラワーセンター前の除虫菊畑で、5月7日(日)・13日(土)午前10時から正午まで、重井町老人クラブ「康和会」(村上侑会長)が除虫菊の花見会を開く。

しまなみ花探訪

 NPO法人ワイガヤネットは14日(日)午前11時から午後3時まで、因島の花・除虫菊を訪ねるウォーキング。集合場所はアメニティ公園大駐車場。
【問い合わせ】電話0845-25-1007。

E

トラックバック