学生が見た平成の大合併を検証 卒業論文・市町村合併 広島県豊田郡瀬戸田町を事例に【2】

掲載号 06年04月22日号

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 まず、分割とは、1つの地方自治体を廃し、その区域を分けて数個の地方自治体を置くことで、分立とは1つの地方自治体の一部の区域を分けて、その区域をもって新しい地方自治体を置くことである。たとえばA市が3つに分割されたとすれば、新しい地方自治体はB市、C市、D市となるが、A市から3つに分立するとなると、新しい地方自治体はA市、そして分立したB市、C市となるというわけである。

 また、合体とは二以上の地方公共団体を廃してその区域をもって一つの地方公共団体を置くこと、そして編入とは地方公共団体を廃して、区域を既存の他の地方公共団体の区域に加えることである。合体の場合はA市とB市が合体して新しいC市になることであり、編入とはB市がA市に編入されて新A市になるということである。

(b)市町村合併の歴史

 日本では、過去「明治の大合併」と「昭和の大合併」の大規模な市町村合併があった。「明治の大合併」とは、明治22年に近代的地方自治制度である「市制町村制」が施行され、それに伴い、教育、徴税、土木、救済、戸籍の事務処理などの行政上の目的に合った規模と、自治体としての町村の単位(江戸時代から引き継がれた自然集落)との隔たりをなくすために、約300~500戸を標準規模として全国的に行われた町村合併のことである。その結果、町村数は71314から約5分の1の15859に減少した。

 「昭和の大合併」とは、昭和28年から昭和36年までに行われた大規模な合併のことである。戦後の日本では、新制中学校の設置管理、市町村消防や自治体警察の創設の事務、福祉、保健衛生関係の新しい事務が市町村の事務とされ、行政事務の能率的処理のためには規模の合理化が必要とされていた。

 昭和28年の町村合併促進法と、これに続く昭和31年の新市町村建設促進法により、「町村数を約3分の1に減少することを目途」とする町村合併促進基本計画(昭和28年10月30日閣議決定)の達成を図ったものであり、昭和28年から昭和36年までの間に、市町村数は9868からほぼ3分の1の3472まで減少した。そして現在、「平成の大合併」が行われているのである。

(c)市町村合併の背景と目的

 市町村合併はなぜ行われるのか。その背景やその目的については実にさまざまな意見が述べられている。平成の大合併は、地方交付税を削減するために政府が半ば強制的に進めている合併だ、との指摘も数多くあるが、政府は、市町村合併が進められる背景と、その必要性について次の5項目を示している。

 まず1つ目は、地域分権の推進である。平成11年に地方分権一括法が制定され、国から都道府県や市町村へ、さまざまな権限が委譲された。特に、人口20万人以上の市に対しては、その希望に応じて「特例市」として指定し、都道府県の一定の権限を包括的に移譲するという新たな制度が設けられている。

 たとえば、国から都道府県へは公共下水道事業計画の認可の事務などが、都道府県から市へは児童扶養手当の受給資格の認定の事務など、都道府県からすべての市町村へは飼犬の登録、鑑札の交付の事務などの権限が委譲されたのである。これにより自己決定・自己責任のルールに基づく行政システムが確立され、住民に身近なサービスの提供は、地域の責任ある選択によって決定されるよう、個々の市町村が自立することが求められるようになったのである。

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