瀬戸田・博愛幼稚園が創立100年 テノール歌手・新垣勉さん ベル・カントで記念コンサート

掲載号 06年04月15日号

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 瀬戸田町の学校法人・博愛学園「博愛幼稚園」(杉野徹理事長、角野裕三園長)が、今年で創立100周年を迎える。

 博愛幼稚園創立100周年記念実行委員会(永井晃委員長)は5月20日(土)に記念行事を行なう。午前10時から同11時、同幼稚園体育館で記念式典。元福音丸牧師の中本仁一さんを迎えて記念礼拝がある。

 つづいて午後2時から同3時30分、ベル・カントホールで、テノール歌手・新垣勉=写真=さんの記念コンサートが開かれる。

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 開場=午後1時30分、開演=午後2時。入場無料、入場整理券が必要。整理券は17日(月)から博愛幼稚園(電話0845-22-0173)で配布される。

 博愛幼稚園の歴史は、キリスト教宣教師ビッケル船長が1906年(明治39)に博愛遊戯園を開設したことをもって始まった。それは多くの後継者によって受け継がれて瀬戸田に根付きさらに瀬戸内全体へ広がっていった。瀬戸内海地域における幼児教育の夜明けであった。

 1911年(明治44)に因島三庄町に双葉幼稚園ができた。重井町の学校法人重井学園重井幼稚園の前身である重井遊戯園が開園したのが1917(大正6)である。1935年(昭和10)には、双葉幼稚園廃止に伴い私立田熊幼稚園が開園した。

 因島に公立幼稚園が最初に開設されたのは、1920年(大正9)のことで、御調郡土生町立幼稚園である。瀬戸田町と田熊町には公立幼稚園はない。重井町は私立と公立の幼稚園が分担している。

 このように、瀬戸田・因島地域の幼児教育の始まりと発展は、キリスト教の瀬戸内海伝道とともにもたらされた。博愛幼稚園をはじめキリスト教幼稚園の瀬戸内海地域における幼児教育への貢献は大きい。

新垣勉

 1952年沖縄生まれ。米軍兵であった父と日本人の母との間に生まれる。生後まもなく助産婦の過失により失明。

 父は帰国、母は再婚。中学2年のとき、育ててくれた祖母が他界、天涯孤独になる。その後、母の親戚に身を寄せるが、井戸に身を投げようとしたこともあった。そんな時、ラジオから流れた賛美歌に導かれ、教会で一人の牧師に出会う。

 やがて盲学校と大学に進学。在学中にオーディションを受けてほめられたことに励まされ、本格的に声楽の勉強を開始。

 2001年、初めてのCD「さとうきび畑」発売、ベストセラーになった。2002年、「出会い~我が心の歌」、2005年、THE BOOM・宮沢和史の作詞・作曲のシングル「白百合の花が咲く頃」とアルバム「ぬち命どぅ宝~沖縄の心 平和への祈り」を発売。各地でコンサート、講演会など幅広い活動をつづけている。

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