美徳とか品格だのといった言葉は死語同然になっている

掲載号 06年03月25日号

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 世界の頂点に立った王ジャパン。日本代表選手の日の丸の国旗が似合った。その余韻覚めやらぬ間に今度は全国高校選抜野球の開幕。県代表チームがいないのが寂しい。国家、民族主義を刺激したWBCに対して甲子園は地域の対抗心を呼びおこす。その昔、今の選手は入場行進もロクにできないといわれた時代は終った。高校球児は元気に手を振り、足を高く上げて球場の土を踏みしめた。女子高生代表が君が代を独唱した。

 日本国民として当たり前の行動をすることは難しいことではない。ところが、かつての日教組の破滅的教育や理念も良識もないテレビ・新聞の無節操が当たり前でないことを「当たり前」にしてしまった。

 美徳とか品格だのといった言葉は死語同然になっている。それが混迷、乱脈の社会を作っている。広島県知事の辞職勧告問題。広島新球場建設、市町村合併で噴出する諸問題などあげればきりがない。当たり前の解決をしないで、玉虫色にすりかえられているように思えてならない。

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