本因坊秀策生家復元 建設基本計画策定委 倉敷・大山名人記念館視察

掲載号 05年08月20日号

前の記事: “因島高校同窓会2005 総会・懇親会に200人 合併前、因島への想い強く
次の記事: “合併のお荷物 一億円の「大阿武船」因島市検討委初会合

 因島市が輩出した世界に誇る幕末の天才棋士、本因坊秀策の生家復元と囲碁文化資料館「囲碁の館」の建設基本計画策定委員会のメンバーは18日、倉敷・大山名人記念館を視察、同館建設経過や運営状況などを聞き参考資料とした。大山康晴十五世名人は将棋界に数々の名局を残し平成4年7月26日死去。享年69歳だった。

 大山名人記念館がオープンしたのは、名人が亡くなって1年後のことだが,同館建築計画の話が上がったのは15年前。倉敷市議会で議決されたものの資金や用地問題で10年間も頓挫。お蔵入りになるのでは―と心配されていた。それが演劇活動の拠点となる芸文館建設計画が浮上。その中に大山記念館と併設する案が組み込まれ、計画はトントン拍子で進んだ。

 用地は美観地区に隣接した倉紡住宅跡。建設費は全額市がまかない、展示物は大山名人の遺族から寄贈または借用。その他、大山名人存命中にプロ棋士の対局室、控え室などの隣接計画案がねられていたので、タイトル戦の条件を備えた施設も建設されている。記念館の入場者数は月間平均2500人。美観地区の観光客も多く、少年将棋教室(250人)も好評。市外からの参加者もいる。

 このほど青森県百石町の大山名人記念館との姉妹館縁組も行った。こうしたことなどを参考に同委員会は秀策生家復元計画を尾道市合併までに急ぐ。写真は大山名人記念館で説明を聞く委員たち。

E

トラックバック