時代を駆け抜けた先人の軌跡【1】テレビで囲碁対局初放送 村上文祥アマ本因坊(因島出身)出場

掲載号 05年07月09日号

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庚午 一生

 囲碁の対局がテレビで放映されるようになったのは、白黒のテレビが放送されるようになってから10年ほどあとだったと思う。今ではインターネットというメディアを活用するのが当たり前の時代になってきた。どこにいてもリアルタイムで囲碁対局を観戦できるという速報性においては、インターネットにかなうメディアは見つからない。

 こうした時代背景の中でインターネット以外の既存のメディアはそれぞれの特性を生かした形で情報を伝えるためどのように変容していくかが注目されている。その中で、テレビも多チャンネル時代でさまざまな可能性のチャレンジが注目される。

 囲碁のテレビ対局が初放映されたのは今から約40年前。当時の「棋道」(日本棋院編集出版)によると1961年4月29日のことである。NHKは天皇誕生日の特別企画として本因坊秀格と村上文祥アマ本因坊との対局を放送した。

 敗戦の廃墟の跡から復興のきざしが見え、三種の神器のひとつであったテレビの受信契約数が急増した。囲碁のラジオ対局は放送されていたが棋譜を耳で聞いて内容を理解することは相当な棋力が必要だった。視覚の力で優位に立つテレビの方が幅広い人たちに囲碁の魅力を伝えられるのは当たり前である。当然のことながらテレビ放送の要望は増えてきた。

ラジオからテレビ時代へ

 当時の放送技術や予算などの問題をクリヤーしてテレビ初放送にふみ切った。対局はプロ・アマ対抗戦で新聞棋戦としても取りあげられなかった試みで、視聴者の興味を引いた。

 テレビスタッフは、生放送だと時間的に難しいので録画で取り組んだ。ところが、当時はテープが効果で編集技術もいまひとつで、対局を最後まで収録できなかった。このため録画を途中で打ち切り、投了後の解説を繋ぎ合わせて放送したという苦労話が残っている。結果は、村上アマ本因坊が中押しで快勝した。

 これを機に「お好みテレビ対局」「新春テレビ対局」などの企画が放送され、囲碁をテレビで楽しむことができるようになった。ちなみに、囲碁の「NHK杯」は最初からテレビ放送だと思われているが、実は初期の約10年ほどはラジオ放送だった。はじめてのテレビ対局があった翌年の昭和37年度の第10回からテレビ放送されるようになった。その第一局は、藤原秀行名人対高川格九段で、藤沢名人が中押し勝ちをおさめた。余談だが、この時の対局場のセットは囲碁が洋間でイス、テーブル。将棋が和室という対照的な配慮をしたという話が残っている。

村上文祥(1923―99) 因島市土生町塩浜生まれ。土生小―旧制尾道中学―因島高校―早稲田大学。高校時代から県代表、早大囲碁部主将。55年荏原製作所入社。60年アマ本因坊戦優勝5回。アマ十傑優勝6回。日米、日中、日韓囲碁交流メンバーとして活躍。94年同社副社長。99年4月17日逝去。日本棋院より八段位追贈。

写真上は1961年4月29日テレビで初めて囲碁対局が放送されたNHKお好み対局本因坊秀格―アマ本因坊村上文祥(二子)左

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