新尾道合併で次の一手を模索【上】碁聖・本因坊秀策生誕の地因島市 囲碁のまちづくり道半ばの「市技」

掲載号 05年05月21日号

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 行政主導型で誕生した平成の大合併。第一ステージの新尾道市の市会議員選挙は終わった。来年1月10日には因島市と豊田郡瀬戸田町が編入合併で加わり増員市議選挙が控えている。

 すでに合併協議主要項目の題目は合意、決定しているものの具体案はこれから。なかでも各市町の歴史文化を背景とした伝統イベントや観光文化を継承、融合する難問は手がついていない。このところ官民で支えてきた第三セクターの観光施設の衰退は、地域の活性化に水をさし、財政の足かせになっていることも否めない。こうした背景のなかで因島市が地道に取り組み「全国版」の地位固めに成功したのが囲碁のまちづくり「市技」の制定だった。その因島市技は「尾道市技」に改名して引き継がれるが、いまだに具体的な協議の担当課さえ決まっていないありさま。当然のことながら行政独自で継承できる事業ではないが、官民一体の組織づくりを急ぎ文化遺産の伝統を含めた基本構想のたちあげに取り組まねば「市技がお荷物になってお蔵入り、有名無実になりかねない」―と、関係者は警鐘を鳴らしている。

 因島出身で幕末の江戸時代後期の囲碁棋士「第十四世本因坊跡目秀策」といえば、後世「碁聖」と称えられる世界的人物。パソコン時代を背景とした若い棋士たちにとっては秀策流を古典と位置づけするが、プロ棋士を目指す過程での必須課目であると一流棋士は折り紙をつける。

その「秀策さん」をふるさと創生事業に担ぎ出し、歴史文化を背景に「囲碁」によるまちづくりに取り組んだのが日本棋院因島支部(村上栄昭支部長)だった。

囲碁のまち 世界へ発

 因鳥市は、瀬戸内海のほぼ中央に位置する全国でも珍しい一島一市の島。多島美を誇り、古くから内海交通の一角を占め、室町時代から戦国時代にかけて村上水軍の拠点であったことから海と船に関する長い伝統のもとで繁栄してきた。その「造船とみかんのまち」も構造的不況により様変わり、昭和58年の因島大橋開通により本土と結ばれた。

 平成11年には瀬戸内しまなみ海道の開通により生活基盤の変化への対応をよぎなくされた。
 こうした環境のなかで、囲碁愛好家は人口の1割を超える約3000人、そのうち有段者約300人といわれる人たちの支えで年2回の「囲碁まつり」が行われてきた。参加者は北海道から九州、四国など腕自慢の老若男女多士済々。有名プロ棋士も参加しての指導碁、アマ・プロのトーナメントお好み対局、秀策杯争奪戦は100万円の賞金が話題にのぼっている。

 このほか、平成12年には国民文化祭、同13年には全国国民福祉祭(ねんりんピック)の囲碁の部の開催地となった。こうした晴れ舞台のほかに「囲碁の出前・碁ランティア」という囲碁協会組織もあって、島外から出張や観光旅行に訪れた人たちから要望があれば、棋力に応じた囲碁愛好者を紹介、ホテルや旅館に派遣するネットも張りめぐらせてある。最近では、囲碁交流を目的に来島する愛好グループが増えている。


昨年秋、日本棋院歴史資料館に殿堂入りした第十四世本因坊跡目秀策。


建設資金を募っている本因坊秀策の生家復元図

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