海賊・自由と仲間と家族と【11】

掲載号 05年04月24日号

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一番目の教えについて

 「けんか」。これは海賊には禁物である。なぜか。船の上だからである。船板一枚の向こうは海。そう、潮流の向きが変わりやすく、流れが速く、複雑な地形の、あの瀬戸内海である。考えたくもないことだが、海に投げ出されてしまえば、すぐに波にさらわれ、岩に体を叩きつける。船の上で行動しているので、一人でも欠ければ大損害だ。水夫が一人いないだけでも船は走らない。また、いさかいごとに気をとられてしまったばかりに、仕事がおろそかになった時も、船は上手く前に進まないだろう。船が運航できなくなれば最後、乗組員全員の命が危ない。

 陸でけんかして、すっころんだぐらいでは、死にはしないし、地面がひっくり返るわけでもない。しかし、海では少しの油断が命取りになる。「皆一つの思いをなし」と、おきての最初に挙げられているのも、当然と言える。

二番目の教えについて

 「制法の巻」の他の項では、船内での「もてなし(接待)・酒宴・ばくち・音曲(音楽)・高声(大声で叫ぶ)」も「無作法」なことである、という。カリブ海などの海賊を描いた絵画を見ると、船の上で酒におぼれ、浮かれている海賊を描いたものが幾つかある。日本の海賊の考えでは、信じられないようなことである。日本の海賊はまた、領国内外での無意味な争いや、傷つけ合いを好まなかった。彼らは、海で気高く生きる者として、無作法で道理をわきまえない行為を嫌う、高潔な人々である。

・四番目の教えについて

 「合印(あいじるし)」とは、敵と味方を区別するためのしるしで、袖などにつけておくものだ。ではなぜ合印や合いことばを忘れたら切り捨てられ、用事もないのに船の中を歩き回ったら切腹なのだろうか。これもまた、海だから、つまり船だから、である。船という限られた場所の中で、一人でも裏切り者がいると、乗組員が全滅してしまうおそれがある。だから、敵と味方を区別するための合印をつけていなかったり、味方なら知っているはずの合ことばが言えなかったりすれば、敵や裏切り者と見なされ、味方と分かっていても斬られるのだ。

 「厳しすぎる……」と思うだろう。その通り、厳しいのだ。しかし、船という限られた場所、海という危険な場所で、乗組員全員の命と結束を守るためには、これほどの規則が必要なのだ。

五番目の教えについて

 『合武三島流船戦要法』「二十一 船考雑事の巻」の「兵士心持ちのこと」の項にも、「兵士は、自分一人だけの高名(武功、てがら)をあげようとしてはならず」とある。海賊は抜け駆けや、自分一人が手柄を立てたような話を嫌う。これもまたまた、海だから、である。何度も述べたように、海賊はチームワークが何よりも大切なのである。一人で手柄を上げようなどと考える自分勝手な者は、チームワークの邪魔になる上に、水軍全体を危機に陥れることもあるので、厳しく罰せられるのだ。これは陸の武士には当てはまらない。武士は、手柄を上げ、出世するためには、我先にと抜け駆けすることもいとわない。海の民を理解するためには、いったん陸の考えは忘れたほうがいいかもしれない。そうは言っても、やはり海でも、よい働きをした者には、それ相応の評価をされるべきである。そのためにいるのが、検使である。

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