傍目八目

掲載号 04年12月11日号

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 いつものように朝登校して校長先生から日米開戦を知らされたのは63年前の12月8日だった。真珠湾攻撃の戦果はニッポン全体が興奮状態になった。その勝ち軍(いくさ)も長くは続かなかった。やがて敗戦を迎え二度とおろかな戦争はしないと誓った。

 それも、そろそろ時効なのだろうか、風向きは変わりつつある。3年前の9・11同時テロは「第二のパールハーバー(真珠湾攻撃)」ともいえる事件となって「テロとの戦争」の口火となった。その米国でパールハーバーの悪夢が聞かれないのは密月関係にある日本への配慮なのだろうか。

 戦時中、因島の造船関連企業で徴用工や学徒動員の青少年男女も働いた。空襲も受けた。戦後の復興期には集団就職を受け入れた。好不況の大波、小波はあったものの造船城下町として生き続けてきた因島。来年1月には内海造船を核とした関連企業が統合する。その一方で、市町村合併は尾道市を核とした合併話が進むという住民にとっては腑に落ちない年の暮れである。

(村上幹郎)

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