みなとオアシスにかける夢 NPO法人認可で瀬戸田港再生船出 港と商店街のにぎわい創出

掲載号 04年03月06日号

前の記事: “虎次郎は行く 出版記念会来賓トーク【3】 秀策先生あってこそ 因島市長 村上和弘
次の記事: “因島市新年度当初予算案 一般会計99億7400万円 無い袖振れぬ緊縮消極策

 瀬戸田町の瀬戸田港が、中・四国地方整備局新設の「みなとオアシス」第1号に登録された。地元商店主らでつくる「せとだ港房」は民間非営利団体(NPO)法人の認可を受け、フリーマーケットやギャラリー、レストランの設置などかつての港のにぎわいを創出しようと意欲を燃やしている。気になるのは「みなとオアシス」と似た「海の駅」が既にあることだ。両方とも国土交通省の管轄で、後者は中国運輸局で縦割り行政の局違いだが、住民参加のにぎわいの拠点づくりが目的で、どこがどう違うのかわかりにくい。住民にとってはどちらでもいいことで、港再生の夢よもう一度と願いを込める。

1079047299.gif

風情在る賑わい再生

 「みなとオアシス」―耳慣れない制度である。中・四国地方整備局が昨年11月、全国に先駆けて創設したばかりで、港湾施設を活用した住民参加型のにぎわいを創り出す活動に対し、公共施設の利用規制を緩和するなどして地域の活性化を支援しようという試み。その第1弾として情報発信や交流の拠点となる「みなとオアシス」に広島県瀬戸田港と鳥取市の鳥取港に白羽の矢が立てられた。このほか山口県由宇港、愛媛県伯方町技越町も名乗りを挙げている。「みなと」は、古くから地域の拠点として集落が形成され、くらしや産業を支え、特色のある歴史、文化を育んできた。瀬戸田港もその昔から汐待ちの港として交易の拠点として栄え、海運と塩田の町を謳歌。戦後は、みかんと造船、観光文化の町として発展してきた。1999年しまなみ海道開通時には年間290万人の観光客を飲み込み、「ひとり勝ち」と沿線町村からうらやましがられた。だが、しまなみブームも一過性。年を経るごとに減少の一途をたどり、昨年度は約100万人と落ち込んだ。
 期待はずれだったのは、瀬戸田港から耕三寺博物館や平山郁夫美術館に続く商店街だった。三原市や尾道市を往復する船便が発着する海の玄関口瀬戸田港の乗降客はかつて年間100万人が利用していたが、しまなみ海道開通後は激減。今では20万人台に落ち込んでいる。
 マイカーと観光バス客は港に通じる商店街に足を向けないから人通りもまばらで、空店舗も目につくようになってきた。

 しまなみ架橋への恨み節やぐちがこぼれるなかで、町内では「2005年問題」が深刻になってきた。しまなみ海道は開通したといっても自動車専用道は愛媛県大島と瀬戸田町と因島の一部がある生口島は未完成。現在は島内の一般道路を通っている。そのついでに瀬戸田観光を・・・というプラス面は多かったはず。それが2005年度中に自動車道が完成するので島を通り過ぎるケースが多くなる。だが、しまなみを一気に素通りするツアーはごくわずかだろう。必ずどこかの島で観光か休憩する。どの島に立ち寄るか、魅力のある島の真価が問われるのはこれからだ―と、しまなみ海道沿線地域間競争が見据えられる。

正念場にきた商店街通

 こうした背景の中で、瀬戸田港を中心に各種事業を展開する民間非営利団体(NPO)が発足。架橋によって利用者が遠ざかった瀬戸田港を交流の場として再生をはかり、にぎわいを創り出すことに挑戦をはじめている。
 このNPOは町の商工青年部や商店主、商工会、農、町職員ら25人のメンバーが加わる「せとだ港房(こうぼう)(長澤宏昭理事長)。みなとオアシスは、原則として既存の施設を活用、地域の観光情報の発信、住民と観光客の交流、特産品の販売などを通じで港のにぎわいを創出、地域活性化に結び付けるのが目的。
 当然のことだが、年間100万人の乗降客を想定して建設され、今はさびれている港湾ビルが拠点になって事業が展開される。これまで2回、社会実験と銘打って住民主体のイベント「汐持市(しおまちいち)」を行い、フリーマーケットや臨時クルーズ、スタンプラリーなど実施。港と商店街で数千人のにぎわいを生み出している。
 本格的な活動は県の法人認可が6月ごろの予定で、海上フリーマーケットの常設∇レストラン∇ギャラリー「瀬戸田ダイジェスト博物館」∇野外彫刻レプリカ、ミニチュア展示場など計画。このほかプレジャーボート係留、クルーズ発着場などを確保する。
 フリーマーケットの商品は同町特産品かんきつや海産物、ハーブ加工品など。
 情報室はビル1階を予定、海洋レジャー交流拠点を目指す「海の駅」6カ所と連携をとりながら事業を進める。問い合わせは瀬戸田町企画課、電話08452・7・2211。

村上幹郎

E

トラックバック