ごあんない

about
 

神域は因島田熊町の中央丘陵地(面積8414.62坪)にあり、古木各種繁茂し神社の由緒ある神聖が保たれている。民の精神的拠り所となり、大地が安らかなることを希求し現在に至る。

 
 

御祭神(主祭神)

仲哀天皇

第14代天皇、帯中津日子命(たらしなかつひめのみこと)

応神天皇

第15代天皇、品陀和気命(ほんだわけのみこと)

神功皇后

仲哀天皇の皇后、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)

 

ご祭神の応神夭皇・神功皇后は共に、大陸の文化を我が国に輸入し、古代にあって日本の文化と経済の興隆をはかられ、文化と経済の守り神様です。仲哀天皇・神功皇后と応神天皇とは親子であり、親子の守り神様としても仰がれています。

 
 

御祈願

方除、病気平癒、交通安全、安産、初宮、厄除、開運、商売繁盛、合格祈願、家内安全等の諸祈祷を受け付けております。

 
大頭神社

天照大御神

日(太陽の)神様、国民の総祖神

高良神社

高良玉垂命・住吉大神

厄除けの神、延命長寿の神、交通の守神

松尾神社

大山咋神・中津島姫命

農業・水の神、山と酒造りの神、海上・旅行安全の神

猿田彦神社

猿田彦命

導きの神道開きの神眼力の神、交通の守護神

 
 

宮司の言葉

亀甲山八幡宮の宮司を拝命しております巻幡(まきはた)と申します。八幡さんの一字を名字に頂いております。

このたび、八幡宮のホームページを開設するに当り、このページに訪れて下さいます皆様と八幡の神様のご縁を結び、神様の御力を頂かれます方が一人でも多くなられ、神様に対するご理解を深めて頂く機縁となりますようお祈りし、ご挨拶とさせて頂きます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

(平成25年3月25日)
 
 
 

社歴

1206年以降 
鎌倉時代の 
始め頃

現在の本殿裏にある高良社(左)、大頭社(中)、松尾大社(右)を三社明神として創建されました。

1339~1344年
暦応・康永年間 
(南北朝時代)

筑前筥崎(はこざき)八幡宮の御分神が因島土生の箱崎浦浜(因島市民会館上り口元橘商店の前の方)に漂着。最初これを田熊宮崎の山頂(現在因島四国八十八カ所60番札所横峯寺付近の山の上の方)に奉還しました。
ところが『夜な夜なうなり、泣く音ともつかぬ音が、宮崎の山中に響いた』ので、里人は恐れ鎮座場所が悪いのだと思い、竹島城主村上直吉と父敬吉が大檀家となって、現在地の亀甲山大頭明神(三社明神)の前の段に奉還し、亀甲山八幡宮として社殿を築造したのが始まりとされています。

1430年
(永享2年)

因島村上系譜によれば、中葉村上大炊頭顕長が伊予国より来りて因島青影山に築城し、嗣子蔵人助備中守吉資が田熊村八幡宮を再建したとある。

1549年
(天文18年)

棟札によると、村上敬吉・村上直吉を大旦那にして本殿再建立が行われている。神域並・社殿拡張をしたので、立派な「八幡宮」としての位がそなわりました。

1827年
(文政10年)

本殿が火災により全焼。

鳥居タトの方二尺の自然石上に神がうずくまられているのを神職・村民が拝見し、以来「神鋸石(しんきょいし)」として崇敬されている。

1835年
(天保6年)

本殿再建

1858年
(安政5年)

拝殿、祓殿等再建

1897年頃
(明治30年頃)

鳥観図が作成されました。

1967年
1月17日

還暦記念羊同窓会

1971年
昭和46年3月

旧拝殿(元絵馬堂)の写真

1977年
(昭和52年)

昭和52年度41歳厄除祈願写真

2002年2月
(平成14年)

本殿が尾道市重要文化財指定

航空写真

 
GoogleMapより。現代の鳥観図です。

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田熊ニュース


※地元紙せとうちタイムズより尾道市因島田熊町のニュースを抜粋して掲載しています。