恩師リレーだより

恩師 村上隆夫(6回生)

 1955年3月土生高校(現在の因島高校)を巣立ち、大学卒業後、愛媛県に4年間勤め、岡野栄三先生、塩出先生からのお誘いもあり、母校の教壇に立つことになりました。

 想い起せば、在学中、L.H.Rで「因島市制は是か非か」の討議において口角泡を飛ばしたり、文化祭でチエホフ生誕百年祭に呼応し、演劇部による「櫻の園」の上演に於ける解説役を担当したり、地区別による体育大会における所属する島嶼部(生口、生名、弓削、岩城)の応援歌を作詞し、級友にその作曲を依頼し、体育大会に彩を添えたりなど…。

 過去は、とかく美化し勝ちかもしれませんが、書をよく読み、社会情勢にも関心を持ち、何事も自分から積極的に学ぶ雰囲気が校内に充満し、生徒の手で物事をやり切る心意気があり、活気ある取り組みを通して、青春を謳歌していたかと思います。

 さて、因島高校(通算28年間)、因島北高校(6年間)の34年間の在職中、特筆するほどのものはありませんが、S.H.Rの10分間を曜日毎にテーマを決めて、日直が運営し、連絡事項の伝達や諸注意のみに終始するのを、できるだけ生徒の自主性が育つことを願ったり、教科(担当は数学)指導において、問題処理ではできるだけ多くの解法を考える習慣付けを通して、実力の向上を図りましたが、所詮、力不足で充分の効果をあげることができず、ただ長く在職していただけと恥じ入っている次第です。

 母校を巣立った皆さん方が、社会的にも、家庭においても中核となって活躍される姿を見させていただくことが、とかく暗い世相の一服の清涼剤と受け止めています。

 退職後、非常勤講師などをしていますが、古希を迎え、今現在、母校(因島高校)が地域に根ざし、地道な足取りを続けられることを切に願うばかりです。

掲載日 : 2006年07月31日 E

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