ふるさと便り

20年ぶりの復活! 希望乗せ新造船進水

ヘレーネS

 昨年の9月、日立造船因島工場内にある内海造船で20年ぶりに大型船の進水式が行なわれた。1986年の「島が沈む」と言われた、日立造船の新造船建造の撤退から20年ぶりの進水となり、進水式の様子が一般公開され、3,000人を越える地元の人が見学し、船の安全航路と工場の再出発を祝った。

 建造技術は、中断20年のブランクの影響が心配されたが、「今回の進水で技術力がさびていなかったことが証明された」と自信を回復させつつある。

 2005年に日立造船因島工場を引き継いだ内海造船は、ここを主力工場にして、2009年上期にかけて7隻を建造し、さらには7万トンクラスの新造船の建造に目標も掲げている。

 来る8月17日(金)13:30から、表紙と同型の(コンテナ 2,553積)5番船の進水式の一般公開が内海造船因島工場(日立造船因島工場内)で予定されている。

 造船・海運業界は、中国の内需拡大を中心とした設備投資の活発化により好調を呈し、3~5年分の仕事を抱えており、因島周辺の造船関連企業もかつての好況をとりもどしつつあるが、後継者や技術者の育成が急がれている。

尾道市:因島フラワーセンターの経営を民間に委託

 因島フラワーセンターの開園は1990年。因島重井町の県立農業試験場をリニューアルして、観光振興と離職者対策としての花卉生産農家育成による地域の活性化をもくろみ開園した。

 入園者のピークは「しまなみ海道」が開通した1999年度で30万人を超えたが、その後は下降線をたどり4万人になっていた。同センターの管理運営費は年間1億1千万円必要で、赤字分は県が3分の2、市が3分の1を負担してきた。

 こうした状況の中、広島県は特殊法人見直しによる行財政改革の一環として因島市へ移管するか、閉園するかという二者択一をせまってきた。

 因島市と合併した新尾道市は、県から無償譲渡された因島フラワーセンターの指定管理者公募し、県営から尾道市へ移管された因島フラワーセンターは、4月からリニューアルオープンされ、指定管理者にスーパー・イズミグループの施設管理業会社である(株)イデオが引き継いでいる。

造船城下町因島の憩いと娯楽の場 日立会館が50年の歴史に幕 取り壊しへ

 企業城下町因島のシンボルとして役目を果たしてきた日立会館が、50年間の歴史に幕を閉じることになった。

 日立会館は、因島市が誕生して4年目の昭和32年10月、備後地方で始めてのエレベーター付き5階建ビルとしてオープンした。

 会館は、日立造船因島工場の従業員のための福利厚生施設として作られたが、同時に市民の憩いと娯楽の場でもあった。

 1960年代のオイルショックをはじめ、造船業界の構造的不況による人口の減少と利用者の激減、築後50年によるビルの老朽化が大きな要因となった。

 建物の解体工事は9月から始まるが、跡地は因島総合病院の駐車場となることになっている。

大浜小学校135年の歴史に幕

 因島の北部にある大浜小学校が、開校135年の歴史を閉じた。本年3月、学校と町民あげて、同小学校の閉校式行われた。生徒たちは4月から因島中庄町の因北小学校に統合されスクールバスで通学している。校舎は建物全体のバリアフリー化、道路の拡幅工事が行なわれた後、今秋から県立三原養護学校瀬戸田分級が授業を始める。

因島高校の跡地「因南学園」を一時凍結し、「因南中学校」を建設。

 前因島高校跡地に因島南部地区の幼・小・中一貫の因南学園(仮称)を建設する問題について、三小学校統合を一時凍結し、三中学校だけを統合する「因南中学校」設立に向けた方針転換が明らかになった。

 方向転換の理由については、住民団体が二小学校(田熊・三庄)の存続を求める請願書(6,565名の署名)を市議会に提出したことで「住民の意見」が尊重された形となった。

 市は、土生、三庄、田熊地区の三小・中学校と土生幼稚園を統合して2009年度に因島土生町の旧因島高土生校舎跡地に因南学園を開校する計画を議会の承認を得て作業を進めてきたが、建設予定のない「凍結」という形で方向転換することとなった。

 今後も幼稚園から中学校までの一貫校構想は「今後も堅持し、時間をかけて地域全体で受容できるよう努力する」としているが、土生幼稚園・因南小学校は因島高校跡地には建設できなくなったため、時期、場所等は、住民合意と財源の確保がキーワードとなるだろう。

20070925012141.jpg 20070925012143.jpg

掲載日 : 2007年08月07日 E

トラックバック