79歳老人のフーテン 2023東北の旅【23】5月12日⑫

2023年5月12日(金)⑫

タクシーは道の駅から廃墟跡のような雄勝の本村を抜け狭い谷間を進む、途中左折して山の中に入る。坂道を登っていくとトンネルに入る。そこからしばらく下ると大きな川に出くわす。この川が昔からの北上川の本流で三陸海岸の追波湾に流れ込んでいるのである。

その川に架かる橋を渡り対岸を右折し車は川岸を走っていると、運転手が今渡った橋の付近に震災遺構の大川小学校があるという。振り返っても残念なことには既に見えなくなっていた。三陸地震災害のテレビ番組でたびたび報道されていた大川小学校である。

津波により破壊された大川小学校校舎(ウィキペディアより

大川小学校津波襲来の惨劇の概略を述べることにする。

大川小学校は昭和60年の学校統廃合で著名な建築家の設計に建築され、田舎には不釣り合いなモダンな校舎が建っている学校である。

当時の全校児童108名・教職員13名で構成されていた。2011年3月11日14時46分に大地震が襲来したが、その時間は多くの児童が下校準備にかかる時刻であった、窓ガラスが割れ、机やいすが散乱する中悲鳴をあげながらも、全校生徒はグランドに集まり点呼で安全の確認していた。そこまではよかったのだが、当時校長が不在の影響もありその後の避難方針がなかなか決まらず50分近く生徒はグランドに待機さされていた。裏山の高台に避難することも検討されるが、雪解けで地面がぬかるみ足場が悪く、大地震により地盤も脆くなっているのではないかと判断され実施されなかった。

生徒の中には裏山に避難して先生に叱られ連れ戻される様子も目撃されている。父兄が子供の安否確認のため学校に来たが、自宅より学校の方が安全だと先生に説得され学校に残り子供ともに亡くなられた父兄もいる。逆に父兄によって自宅に連れ戻され助かった例もある。

学校は追波川の河口から4キロもあり、しかも石巻市の津波対策のハザードマップでは大川小学校には津波は到達しないとなっていた。津波の高さも当初は6メートルと連絡が入っていて多少の油断が生じていたのかもしれない。惨劇の10分前に津波の高さは10メートルに修正されている。

最終的に学校が避難場所に決定したのは追波川の川岸の付近にある高台である。そして学校を出て追波川へ向かっていくところへ土手から越水した津波に襲われたのである。皮肉なことに児童たちの隊列は津波を迎え撃つかたちでこの悲劇は発生した。隊列の後方の生徒は学校に戻り裏山に逃げ難を逃れている。

犠牲者の数は在校生108人の7割の74名、当日学校にいた教職員11名の内10名を数える大惨事である。余録だが遺族の父兄から避難誘導を疑問視する民事訴訟が起き学校・市・県が敗れている。

(田中伸幸・因島田熊町旧田中書店)

筆者近影

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