空襲の子

世界を舞台に活躍する広島市出身の歌手・原田真二さんが5日、実兄の事務所共同代表の栄二さんとともに因島を訪れた。原田さんは因島空襲記念日の7月28日、因島運動公園でコンサートを行なう。 田熊小児童とカレー...(10/05/08)
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7月28日の空襲記念日に因島運動公園でコンサートを開く歌手・原田真二さんが5日夜、因島を初めて訪れる。因島をテーマにした楽曲の取材とプロモーションビデオのロケが目的。 ...(10/05/01)
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世界を舞台に活躍する、広島市出身のシンガーソングライター・原田真二さんが因島空襲記念日の7月28日(水)、因島運動公園・多目的球技場で野外コンサーを行なう。 広島市の原爆ドーム前で被爆ピアノを演奏、歌う原田真二...(10/04/17)
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1945年の米軍による因島への空襲を描いた、自主出版本「瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲」への注文が17日、アメリカ議会図書館から届いた。 ...(09/11/21)
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瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲 はじめて明らかにされる切り捨てられた島の歴史 定価1,000円 お求めはこちらから ...(08/05/24)
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戦後ほとんど語られることのなかった「因島空襲」の全貌に迫った「瀬戸内の太平洋戦争―因島空襲」(青木忠著)が22日、出版された。 昨年7月28日に開催された因島空襲犠牲者慰霊祭につづいて、真相を明らかにし、犠牲者の慰霊...(08/05/24)
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連載「空襲の子」がいよいよ終了を迎えた。2006年8月28日から2007年12月29日までの1年4カ月にわたった。二部構成になっており、前半が「因島空襲と青春群像―62年目の慰霊祭」、後半が「巻幡家の昭和史―公職追放を...(07/12/29)
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巻幡敏夫の足跡を追いながら、彼がめざした究極の目標は、信用組合の結成にあったのではないかと思った。昭和27年~43年初代理事長、43年~46年理事、46年から人生最後まで顧問を務めた。...(07/12/22)
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巻幡は公職追放解除後、因島信用組合創立に心血を注いだ。昭和27年6月10日、初代理事長に就任し、同43年まで務めた。昭和40年には、全国中小企業団体総連合佐藤栄作名誉総裁から功労彰を授与されている。...(07/12/15)
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初の因島市長選の結果が出た。 当選 安松延二 7864 次点 宮地 弘 7445 巻幡敏夫 5369...(07/12/08)
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因島市誕生の時期は国政・市長・市議と選挙が連続した。4月29日衆議院選挙をかわきりに5月17日因島市長選、5月20日市議選とつづいた。いずれも激しい選挙戦になった。衆議院選は吉田茂首相の「バカヤロー解散」を受けたもので...(07/12/01)
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時代は、第二次大戦の復興をほぼ終え、昭和の大合併へと向かっていた。因島は昭和28年5月1日、土生町、三庄町、田熊町、中庄村、大浜村、重井村、東生口村の7町村が合併して、市政を施行した。 この合併の話は昭和26年になる...(07/11/24)
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関西テレビ放送名誉顧問の巻幡展男は常務取締役時代の1988年に、池田勇人と父敏夫との交友について、エッセイ「冬日可愛」のなかでふれている。ご本人の了解をいただき、紹介させていただく。...(07/11/17)
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第58~60代内閣総理大臣・池田勇人(1899~1965)=写真=と巻幡敏夫は生涯を通じての友人であった。旧制忠海中学校で机を並べて以来、将来東京で会おうと、誓い合う仲となった。しかし、その二人の夢は叶わなかった。東京...(07/11/10)
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二女恵美子さんに単刀直入にお尋ねした。「お父さんは、本当に軍国主義者でしたか。わたしには、どうしてもそうとは思えないのですが」との問いに、「そうではありません」と、明快な答が返ってきた。 筆者は、巻幡敏夫との面識は一...(07/11/03)
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巻幡家に連合軍総司令部(GHQ)の取調官が乗り込んできた。巻幡が忠実に公職追放に服しているかの調査であったのであろう。この場合の公職とは単に官職だけではなく、占領軍が指定した、影響力のある政党・企業・団体・報道機関など...(07/10/27)
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巻幡敏夫が公職追放処分を受けた昭和22年1月ころ因島は、連合軍総司令部にとって特別な地域であった。日立造船因島工場が約1万人の働く軍需工場であったこと、因島と向島に連合軍捕虜収容所があり、日立造船の両工場で捕虜が強制労...(07/10/20)
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ついに巻幡敏夫に公職追放処分が発令されるときがきた。昭和22年のことである。公職追放が解除される昭和26年6月20日まで、巻幡は連合軍総司令部(GHQ)の厳重な監視下に置かれ、一切の生活の糧を奪われた。 巻幡自身が昭...(07/10/13)
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占領期において進められたのは、「軍国主義の排除」の名の下での日本人意識の解体であった。追放の嵐が吹き荒れるなかで、文化面における統制も強められた。例えば映画においてはアメリカ映画がどんどん公開される一方、時代劇が解禁に...(07/10/06)
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昭和21年の年明け早々、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による公職追放の嵐が吹き荒れることになった。ポツダム宣言第六項の「軍国主義者の権力および勢力を永久に排除する」方針をもとに1月4日、日本政府に対して「軍国主義...(07/09/29)
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わたしは敗戦を生後およそ10カ月で迎えた。したがって米空軍の空襲によって死にかけたことや敗戦について実感がまったくない。しかし世界史的な事件である敗戦を直視することなくして一歩も前に進めない。実感がないところで考え、書...(07/09/01)
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「広島県戦災史」は、「戦時体制の確立」のまとめで次のような結論を導いている。...(07/08/11)
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戦後日本は、「大政翼賛会」を「民主主義」の対立概念として教えたが、その内容とその歴史的役割の検証を真剣にしようとはしなかった。筆者自身も例外ではなく、せいぜい大政翼賛会=独裁、独裁=悪ぐらいの理解のレベルであった。しか...(07/08/04)
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戦犯(戦争犯罪人)と公職追放が混同されている傾向がみられる。確かに関係は強いが、両者は全く異なるものである。「戦後史大辞典」(三省堂)をよりどころに戦犯について見てみよう。戦犯にはA級戦犯とBC級戦犯がある。...(07/07/28)
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ある「紳士録」に故巻幡敏夫氏とその家族について次のように記されている。巻幡敏夫 正七位勲六等 因島信用組合 備南特定郵便局長会各顧問 広島地方裁判所因島調停協会会長 因島市文化財保護委員 広島県出身 因島市在住 明治3...(07/07/14)
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因島空襲犠牲者慰霊祭まで1カ月をきった7月2日、わたしは駐広島大韓民国総領事館に金辰植領事を訪ねた。空襲で朝鮮半島出身者が亡くなったことについて説明するためであった。...(07/07/07)
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姉の恵美子さんからお電話をいただいたことに勇気づけられて弟の巻幡展男さんに直接お会いしたいと思った。ご自宅にお電話したところ、「関西テレビにおいでよ」ということになった。「会社の受付でどのように言えばよろしいですか」と...(07/06/23)
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前号で紹介した対談のなかで巻幡展男さんは、生死を分けた原爆病との闘いについて何も語っていない。ただ、「まあ、それから、暫らくの間は、近所のお寺で、原爆の落ちた広島の状況を説明していたもんだよ」としか話していない。そのこ...(07/06/16)
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今年の2月下旬のことであった。家内が電話口でやり取りをしているのが聞こえた。どうも相手の方がお名前をおっしゃらなかったようで、「それでは困りますから教えてください」とくり返している。「土生の巻幡です」とのご返事をようや...(07/06/09)
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連載をつづけていくうえで、専門的な知識をもった方からの助言ほどありがたいものはない。船舶についても何回か、助言をいただいた。前々号で「伊33号潜水艦の悲劇」についてふれたところ、その方からお電話をいただいた。いつもわた...(07/06/02)
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昭和31年に発行された「日立造船株式会社七十五年史」は、同社の戦災状況全般を述べるなかで因島工場への空襲について次のように記している。...(07/05/26)
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先日、因島空襲の犠牲になった楠見高行さんが経営していた鉄工所の跡地=写真=に行ってみた。因島三庄町3区の北郵便局付近である。現在は駐車場になっている。その場に立ち、三庄町という町の深部には、あの戦争の現実が決して風化す...(07/05/19)
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楠見四兄弟の長兄である高行さんは昭和20年7月28日、米軍の空襲によって日立造船因島工場で亡くなった。避難した簡易防空壕を爆弾が直撃。同じ職場の仲間とともに崩れた土砂に押しつぶされて死んだ。砂に埋もれた仲間をみんなはス...(07/05/12)
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日本郵船社員の佃慶三郎の話はつづく。 ―父の戦死の知らせとほとんど同時に男児が誕生した事の奇しき因縁について、町では暫く話題となっていたといわれる。母堂に続いて、祖母、次兄も挨拶に顔を見せたが、だれもが佃を困らせるよう...(07/05/05)
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因島空襲により日立造船因島工場で亡くなった楠見高行さんの遺族である楠見啓二さんの三庄町のご自宅をようやく訪ねることができた。遅れたのはすべてわたしのためらいのせいである。すでにご親族や関係者を通じて啓二さんのことを知っ...(07/04/28)
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昭和20年7月28日、海軍の軍務に就いていた岡野宣行さんは、日立造船因島工場に勤めていた父・孫三郎さん(48)が空襲で死んだことを知らなかった。戦局の厳しさが増すなかで、家人も宣行さんが生きているとは思わず、連絡をしな...(07/04/14)
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故小丸正人さんは、コミヱさんとの間に二人の子どもを遺した。次女の祥子さんは、筆者と世代としては比較的近い。そこでご夫妻に家庭内で子どもさんやお孫さんに、父・正人さんの死をどのように伝えているのか、お尋ねした。これは筆者...(07/04/07)
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その日、長女・由紀子さんは戸板で運ばれる人を土生町で見た。土生の祖父のところに行かされていたのだろう。もちろんそれが、父であるかどうかは分らなかった。亡骸が自宅に着いたのは夕方のころ。仏壇の前に横たわる夫は死んだとは思...(07/03/31)
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小丸正人さんがコミヱさんと結婚したのは昭和13年10月14日である。夫25歳、妻21歳。コミヱさんは「理想的な結婚だった」と微笑みながら振り返る。やがて昭和15年に長女・由紀子さんが、17年には次女・祥子さんが誕生する...(07/03/24)
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田熊町の小丸正人さんは昭和20年7月28日、米軍の空襲により、日立造船因島工場内の職場近くで亡くなった。定盤工場の前にあった仮設の防空壕が爆撃で直撃され、そのなかで圧死したのだ。正人さんは大正2年3月27日生まれ32歳...(07/03/17)
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3月7日の夕刻、故阿部正さんの墓に参ることができた。尾道市因島土生町にある臨済宗・対潮院の小高い丘のほぼ頂上にそれはあった。阿部さんがそこに永眠されているのを知ったのは昨年7月のことだった。墓碑には、 正岳良俊居士 長...(07/03/10)
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土生は戦場だった。2回にわたって掲載した常盤正和さんの追悼文「阿部正君の死」を読んでの感想である。土生町から三庄町につづく日立造船因島工場、土生町のほぼ全域、7区・8区を中心にした三庄町は、激しい空爆と機銃掃射に襲われ...(07/03/03)
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私達の職場は北と西側が煉瓦積で、東と南が窓になっている建物でした。煉瓦の壁が30センチ位あり、これなら大丈夫と思って北、西の隅へ急いだ。一番奥へ阿部君、続いて私、そして柏原大典、須田禎之、藤原進治、柿原貢の諸君が必死の...(07/02/24)
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わたしは昨年7月、土生町出身の尾道商業学校学徒動員生の阿部正さんが日立造船因島工場で空襲をうけて亡くなり、「阿部正君の死」と題する追悼文が同校同窓会誌に掲載されていることを知った。執筆されたのは常盤正和さん(48回生)...(07/02/17)
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宮地茂・元福山大学総長(1914~2005)=写真=は因島土生町出身で、尾道名誉市民、福山名誉市民である。広島大学に在籍していた23歳のときわたしは、中国新聞社の対談企画で印象的な出会いをした。東大・日大をはじめ大学闘...(07/02/10)
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椋浦小学校のある日のひとこま。小学校3・4年生たち わたしは、御調郡三庄町で生まれたが、因島市立椋浦小学校の卒業生である。昭和21年に父の松本隆雄が椋浦小学校の校長に着任するとともにわが家族は椋浦町に引っ越したが、2...(07/02/03)
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わたしの旧姓は松本で、父隆雄と母清子の三男として昭和19年10月11日、御調郡三庄町神田に生まれた。現在の青木姓は高校3年の時に、父の後妻として青木行が入籍するかわりに継いだものである。現在、両家を直接継ぐ者で因島在住...(07/01/27)
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すでに述べたように、まったく個人的な体験と発想で因島空襲の調査活動を始めた。しかしまもなく向き合った対象は、個人で立ち向かうにはあまりにも巨大で深刻なものであることを、思い知らされることになる。そこで新聞記者という職業...(07/01/20)
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昨年12月27日、わたしの妻の母、埼玉県川越市の小島すみ江(享年87歳)がなくなった。妻は1週間ほどの里帰りとなったが、妻が生れた細川家の姉から、東京空襲で身内が3人亡くなったことを聞いて帰ってきた。江東区亀戸に住んで...(07/01/13)
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前号の記述について星野さんご自身から間違いを指摘された。星野さんが身に付けた特殊技能を「定盤(じょうばん)」と取材したにもかかわらず、「旋盤」と書いてしまった。広辞苑には「表面を正しく平滑に仕上げた鋳鉄製の平面盤。この...(06/12/23)
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星野正雄さんに本紙をお渡したところ読んでいただき、「子や孫にもしっかり読ませますから」との伝言をいただいた。こうしてわたしをいつも励ましてくれる。62年前の空襲の調査という、目標に掲げたものの見通しのたたない課題を前に...(06/12/16)
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お気づきになった方もいらっしゃると思うが、本連載バックナンバー【15】の星野正雄さんが体験した日立工場の空襲とバックナンバー【14】で紹介した故巻幡進一さんのお話は、同じ場面である。防空壕内での犠牲者としては因島工場最...(06/12/09)
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因島中庄町の星野正雄さん(79)は、因島空襲の調査活動をつづけるわたしの心の支えである。日立因島工場の定盤工であった星野さんの職場は7月28日、爆弾の直撃をうけた。7人が死亡し、自身も間一髪助かった。本紙連載のサブタイ...(06/12/02)
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43年と8カ月にわたって造船にかかわってこられた巻幡進一さん(因島土生町郷区)が9月21日、入院先の因島医師会病院でお亡くなりになった。享年82歳。わたしが因島空襲の取材にご自宅をお訪ねしたのは8月初めのことで、再会を...(06/11/25)
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青木忠 先日、因島田熊町のたなか書店の田中伸幸氏から貴重な資料の提供を受けた。昭和63年に発行された「広島県戦災史」(編集者・広島県、発行所・第一法規出版)=写真=で4700円もする高価なものである。 たまたま書店に...(06/11/11)
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わたしは空襲の子である。7月28日の空襲に直撃されて家は吹飛び、ゼロ歳のわたしは下敷きとなり死亡したかと思われたが、泥まみれのまま救出されたという。したがって生家はもうない。それから62年間生きてきたわけだが結局、その...(06/11/04)
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青木忠 NHK広島放送局は今年7月26日、「因島空襲―新たな証言」を放映した。わたしは固唾をのんで画面を見つめた。「ついに土生空襲の映像が生れたのだ」と思った。なすすべもなく61年間を過ごしてきてしまったが、やっとここ...(06/10/28)
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青木 忠 「その日にもどりたい」、それが痛切なわたしの願いとなった。わたしがもしも、昭和年のころ赤子でなくてせめて少年だったらわたしは何を感じ、何をしていただろうか。軍国少年になっていただろうか。その時代を生きていた...(06/10/21)
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青木 忠 戦後60年を迎えた昨年は、わたしにふたつの点で転機となった。ひとつは、前号で述べたように、空襲犠牲者のご遺族に初めてお会いすることができたことである。ふたつ目は、因島空襲の基本的な性格についての疑問がとけたこ...(06/10/14)
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青木 忠 戦後60年を迎えた昨年、わたしは初めて因島空襲の犠牲者のご遺族とお会いすることができた。三庄町八区の宮林積さん(71)である。空襲を受けたわたしの生家から宮林さんのご自宅は1000メートルあまりの距離であろう...(06/10/07)
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青木忠 「因島空襲の写ったフィルムを持っているよ」という電話には驚いた。今年の7月のことである。やがてその電話の主である尾道市向島町在住の花咲清康さんから、ビデオとDVDが届いた。また、雑誌に掲載された因島空襲の写真が...(06/09/30)
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青木 忠 空襲の犠牲者への追悼の試みは、因島三庄町7区森神社下にある防空壕前のコンサートで始まった。およそ100人の参加者は、ピアノに合わせて歌うことで追悼の想いを伝えようとした。2002年(平成14年)7月28日のこ...(06/09/23)
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青木忠 わたしは、父から空襲体験を継承することに失敗した。素直にそれができていればこんなに苦労することはなかったのに、大きく空襲の実態に迫ることができたのに、と悔やまれてならない。誰が封印したのか。0歳の身で空襲を体験...(06/09/16)
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青木 忠 実は、因島空襲を「封印された空襲」と呼んだのはわたしではない。昨年7月に特集「語り継ぐ空襲」・因島空襲の取材のために因島を訪れたNHK広島放送局・尾道報道室の安井俊樹記者が、わたしの「資料がほとんど残されてお...(06/09/09)
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青木 忠 因島に家族とともに帰って10年が経過した平成14年に入って、わたしはようやく因島空襲の調査を始めた。しかしそれは当初、わたしの個人史的色彩の強いものであった。相談を持ちかけた友人に「空襲経験はお前のプライベー...(06/09/02)
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青木 忠 わたしがまだ東京に住み政治活動や裁判闘争に専念していたころ、おそらく今から20数年前のことであったと思うが、横浜市のキリスト教紅葉坂教会の岸本羊一牧師から数冊の山本周五郎の著作とともに一冊の文庫本を頂いた。「...(06/08/26)
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