2019年7月20日 / 最終更新日 : 2019年7月30日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【140】山伏山(因島田熊町) 山伏山(因島田熊町) 生口橋の因島側にある山が山伏山である。風呂山、青影山、竜王山、山伏山と続いているようであるが、竜王山と山伏山との間には小さなトンネルがあって峠道が西浦峠から田熊町へと続いている。しかし、荒廃が進んで […]
2019年7月13日 / 最終更新日 : 2019年7月30日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【139】黒崎明神(因島田熊黒崎新開) 黒崎明神(因島田熊黒崎新開) 干拓地すなわち新開地の特色は神社があるということであろうか。もともと海中にある安芸の宮島、すなわち厳島神社を勧請したものが海辺にあるのは当然としても、住吉神社、金毘羅宮などを祀った小祠などが […]
2019年7月6日 / 最終更新日 : 2019年7月14日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【138】軍用地船着場跡(因島重井町勘口) 軍用地船着場跡(因島重井町勘口) 軍用地と言っても、そのことを語るようなものは残っていない。しいて探せば、船着場の石垣の跡であろうか。しかし、その石垣も波に洗われて崩れ、もはやそれを探すのすら難しくなっている。かつては確 […]
2019年6月29日 / 最終更新日 : 2019年7月6日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【137】土地寄附碑(因島重井町宮の上) 深浦新開が陸軍の軍用地として撤収された時、そこにあった因島四国八十八ケ所のうち87番長尾寺と88番大窪寺が現在地に強制的に移転させられたと書いたが、元の場所どころか、そのことを知っている方に、未だにお目にか […]
2019年6月22日 / 最終更新日 : 2019年7月5日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【136】ゆるぎ岩(因島大浜町) ゆるぎ岩(因島大浜町) 陸軍境界石はゆるぎ岩を探しに山に入った時、たまたま出現したものであった。そして確かにその延長線の北側が軍用地であることに思い至り納得した次第である。 しかし、ゆるぎ岩の方は、時すでに遅し、であった […]
2019年6月15日 / 最終更新日 : 2019年6月22日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【135】陸軍境界石(因島大浜町) 陸軍境界石(因島大浜町) 軍用地と民有地を隔てるものが陸軍境界石である。大日本帝國陸軍は法的にはしばらく後のことであろうが、昭和20年の敗戦とともに実質解体したのであるから、境界石はその存在価値を失った。あるものは撤去さ […]
2019年6月8日 / 最終更新日 : 2019年6月15日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【134】住吉神社(因島重井町深浦新開) 住吉神社(因島重井町深浦新開) 干拓地には住吉神社がつきもので、いたるところにその小祠を見つけることができる。重井町の深浦新開の潮回しは、現存するものでは島内最大のものである。その潮回しの北側に高い土手があり、頑丈なコン […]
2019年6月1日 / 最終更新日 : 2019年6月9日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【133】西浦新開(因島中庄町西浦区) 西浦新開(因島中庄町西浦区) 因島中庄町西部の西浦区の干拓地について見てみよう。 因島重井町小田浦(おだのうら)の南で因島中庄町になる。その海岸地帯は北から南へかけて、山根新開、利吉新開、嘉助新開、黒崎新開と呼ばれている […]
2019年5月25日 / 最終更新日 : 2019年5月31日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【132】仁井屋新開(因島中庄町新開区) 仁井屋新開(因島中庄町新開区) 蘇功新開の灌漑用水池ぞいの桜は水軍スカイラインの北の名所である。そしてここから南へ登れば、外浦町鏡浦町間の平田道路を通る峠道へ続く。また、この池より海側(東側)が仁井屋新開である。 仁井屋 […]
2019年5月18日 / 最終更新日 : 2019年5月25日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【131】文久新開(因島中庄町新開区) 干拓の苦労を語るものに、文久新開もある。その名が示すように、江戸末期文久時代に完成した干拓である。 ここも最初から成功したわけではない。最初は、石井禎四郎が始めた。嘉永5年(1852)のことである。しかし二度にわたる堤防 […]
2019年5月11日 / 最終更新日 : 2019年5月25日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【130】菅原神社(因島中庄町天神) 菅原神社(因島中庄町天神) 油屋新開の沖に蘇功新開がある。新入川橋を超えて、外浦町の方へ行ったところである。外浦町でなく中庄町になる。海をどんどん干拓していけば、よその町村の前に至る。今も昔も複雑な問題である。しかし、原 […]
2019年4月27日 / 最終更新日 : 2019年4月30日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【129】唐樋明神社(因島中庄町唐樋) 唐樋明神社(因島中庄町唐樋) 鼠屋新開の次は油屋新開である。油屋新開が中庄町最大の新開であることは、以前紹介した潮回しが最大であることからも容易に想像できる。さらに、油屋新開の歴史はもうひとつの新開の歴史を含む。すなわち […]
2019年4月22日 / 最終更新日 : 2019年4月27日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【128】鼠屋新開(因島中庄町新開) 鼠屋新開(因島中庄町新開) 中庄村史によると土生谷新開が完成したのが天正元年(1573)年で、鼠屋新開ができたのが貞享2年(1685)年であるから、およそ1世紀ののちであり、土生新開が特別に早かったということである。だか […]
2019年4月16日 / 最終更新日 : 2019年4月27日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【127】因島八景・第二景(因島大浜町) 因島八景・第二景(因島大浜町) 大浜中庄海岸道路の新設道路開通記念碑まできたら、すぐ先に因島八景第二景の石碑があるので、見ておこう。「因島八景 大浜海岸から八重子島を望む景観」と書かれた石碑が左手、すなわち崖の下にある。 […]
2019年4月8日 / 最終更新日 : 2021年11月27日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【126】新設道路開通碑(因島大浜町) 新設道路開通碑(因島大浜町) 前回紹介した大浜町の二つの峠道を理解していただくためには、現在大浜中庄間の主要幹線である海岸道路のことを書かねばならない。そこで、中庄町から大浜方面へ左側に注意しながら海岸道を進むと、山側の […]
2019年3月30日 / 最終更新日 : 2019年4月7日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【125】大浜中庄村界碑(因島大浜町新開・因島中庄町新開) 大浜中庄村界碑(因島大浜町新開・因島中庄町新開) 唐樋のところは東西南北に道が分かれるのだが、少しずれていて、純粋な交差点とは言えない。だが、大浜町の方にも行かず、外浦町の方へも行かず、ジュンテンドーの方へも行かず、北側 […]
2019年3月23日 / 最終更新日 : 2019年4月7日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【124】油屋新開潮回し(因島中庄町油屋新開) 油屋新開潮回し(因島中庄町油屋新開) 唐樋の内側(西側)に水郷地帯がある。と、書けばオーバーであろうか。飛ぶ翡翠の別名のあるカワセミが目の前を飛んで行った。慌ててシャッターを押したが、掲載できるものは撮れなかった。かつて […]
2019年3月16日 / 最終更新日 : 2019年3月23日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【123】唐樋(因島中庄町唐樋) 唐樋(因島中庄町唐樋) 因島中庄町には唐樋(からひ)というバス停があり、そのあたりを唐樋と呼んでいる。唐樋という以上は、唐風の樋門があったということである。その地名は多くの人に知られており、長い歴史があることがわかる。し […]
2019年3月9日 / 最終更新日 : 2019年3月22日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【122】山口道路改修碑(因島中庄町山口) 山口道路改修碑(因島中庄町山口) 話を中庄町権現の隠島神社に戻すと、ここから発掘された瓦が権現廃寺出土品として昭和39年に因島市の重要文化財になっている。なぜ、隠島神社の出土品と言わないのであろうか。また対岸の、と言って […]
2019年3月2日 / 最終更新日 : 2019年3月5日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【121】齋島神社(因島大浜町黄幡) 齋島神社(因島大浜町黄幡) 従五位下を授けられた隠島神社最後の候補は大浜町の齋島神社で、いむしま神社と読み隠島神社と同音である。とはいえ、皇太子神社を明治32年に今の名に変えた。だから、なぜ由緒ある名称を捨てていたのか、 […]
2019年2月9日 / 最終更新日 : 2019年2月16日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【120】住吉神社(因島外浦町三区) 住吉神社(因島外浦町三区) ところで隠島神社は我が社であると主張する神社が複数存在するということは、授けられた従五位下という栄誉が忘れられ、隠島神社という名誉ある社名までも捨てられていたということであろうか。あるいは贈位 […]
2019年2月2日 / 最終更新日 : 2019年2月16日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【119】大疫神社(因重井町砂原) 大疫神社(因重井町砂原) 怪しげな伝説より、新しくても確実な史実の方が貴重だと私は思うのであるが、曖昧でも古ければ良いという世界がこの世には確実に存在する。その一例が、従五位下を授けられた隠島神社は、実は我が社であると主 […]
2019年1月26日 / 最終更新日 : 2019年2月3日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【118】隠島神社(因島中庄町権現) 隠島神社(因島中庄町権現) 干拓の話から峠道の話になり、迂遠な印象を持たれたことであろう…。しかし、葬式と結婚式が人生の裏表であるように、特に因島では、干拓と峠道は歴史地理の表裏であるから遠回りをしているわけではない。 […]
2019年1月19日 / 最終更新日 : 2019年1月31日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【117】大石遺跡(因島重井町大石) 大石遺跡(因島重井町大石) しまなみ海道ができた時、その道路新設予定地から遺跡が発見され、昭和54年度に発掘調査された。大石遺跡である。地図で見ると因島北インターと重なり、詳しい場所はわからなかった。幸い発掘風景を写した […]
2019年1月12日 / 最終更新日 : 2019年1月21日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【116】重の井(因島重井町伊浜) 重の井(因島重井町伊浜) 因島重井町伊浜の八幡神社に重の井という井戸がある。茂み(繁み)の湿地帯をシゲイと呼び、中ノ庄の重井浦から重井庄となった。重井と書いてシゲノイと呼んだのかもしれない。しかし、シゲノイウラ、シゲノイ […]
2019年1月7日 / 最終更新日 : 2019年1月12日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【115】大池道路改修碑(因島重井町大池) 大池道路改修碑(因島重井町大池) 因島には中庄町と三庄町に荘園があった。そのことが現在の町名にまで引き継がれている。中庄には重井浦がくっついていたが、後に重井庄となった。どちらの歴史も短かったせいか、浦も庄も現在の町名に […]
2019年1月1日 / 最終更新日 : 2019年1月1日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【114】馬の背峠の塞の神(因島中庄町仁井屋) 馬の背峠の塞の神(因島中庄町仁井屋) 土生新開ができる前の鹿穴(ししあな)と因島中庄町中央部の往来を考えてみよう。いや土生新開ができても片刈山の東端、すなわち因島北認定こども園やゲートボール場のあるところに道ができていな […]
2018年12月15日 / 最終更新日 : 2018年12月29日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【113】廻国供養塔(因島中庄町寺迫) 廻国供養塔(因島中庄町寺迫) 因島中庄町の駐在所から山沿いの道を東へ進むと、切り立った崖があり、かつての海岸線を想像することができる。 コンクリートで保護された崖の下に写真のような六十六部廻国供養塔がある。7月豪雨で少し […]
2018年12月8日 / 最終更新日 : 2018年12月29日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【112】土生神社(因島中庄町奥鹿穴) 土生神社(因島中庄町奥鹿穴) 金蓮寺の史料館前から北を見ると小高い丘があり、因島水軍城が建っている。さらにその北側が因島中庄町鹿穴(ししあな)である。因島重井町の字別全図にも獅子穴が載っているから、中庄村、重井村の村境が […]
2018年12月1日 / 最終更新日 : 2018年12月11日 times ふるさとの史跡をたずねて ふるさとの史跡をたずねて【111】一本松の盃状穴(因島中庄町金蓮寺) 因島重井町の一本松の下にあった盃状穴が中庄町金蓮寺の史料館前にある。盃状穴というのは岩に擂り鉢状の穴を開けたもので、祈願やおまじないの民俗学的遺物である。 盃状穴は各地で見られるが、この岩の盃状穴は形が整っていて、他の陰 […]