2011年3月12日 / 最終更新日 : 2011年3月12日 times おかめはちもく はじまった「お願いコール」 見えてこない商都尾道の将来像 統一地方選挙を控え新年度予算審議もそこそこに議会を終え「お願いコール」が始まった。平成の大合併で23の市町になったとはいえ選挙準備は昔も今も大差ない。知縁、血縁、カバン、カンバンをベースに旧態依然とした選挙戦が繰り返さ […]
2011年3月12日 / 最終更新日 : 2011年3月12日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【62】 時代遺跡の島(13) 因島捕虜収容所(11) 著者は、「エピローグ――日本を再び訪ねて 一九六九年八月」の冒頭に次のように書いている。
2011年3月5日 / 最終更新日 : 2015年6月27日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【7】 カナダの両親と再会 日本に残されたという父母への恨みと慕う心を押えながらの6年余はキミコの幼少期に”忍耐”という精神力を培われた。
2011年3月5日 / 最終更新日 : 2011年3月5日 times おかめはちもく 二宮金次郎について 本紙連載中の「キミコオカノムラカミ」の中でカナダ移民家族の2世が因島田熊村立尋常高等小学校に入学、二宮金次郎の像に一礼して教室に入る描写をしたところ「二宮!」という人物はいったい何者か―という問い合わせ。
2011年3月5日 / 最終更新日 : 2011年3月5日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【61】 時代遺跡の島(12) 因島捕虜収容所(10) 著者が福岡県宮田の収容所にいたのは1945年の6月から9月である。その時期には、日本の敗戦は確実になっており、収容所側もそのことを自覚していたはずである。著者はここで「8月1 […]
2011年2月26日 / 最終更新日 : 2018年3月31日 times おかめはちもく 尾道市長選挙に河野正夫氏参戦準備 市議会選挙は田頭氏引退、巻幡氏・金山氏出馬表明 4月17日告示、24日投開票の尾道市長選挙はロゴス(株)社長(尾道市木ノ庄町)で尾道大学特任教授就業力育成事業担当の河野正夫氏(45)が参戦する準備をはじめ話題になっている。 氏のブログによると「尾道に旋風を!」と呼びか […]
2011年2月26日 / 最終更新日 : 2015年6月27日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【6】 日本の神々に守られて このころ(1910年)の日本は明治維新により”西洋かぶれ”の傾向が強く”洋服”を来て帰郷したキミコは村の子どもたちからうらやましがられました。祖母に当 […]
2011年2月26日 / 最終更新日 : 2011年2月26日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【60】 時代遺跡の島(11) 因島捕虜収容所(9) 善通寺では食糧の欠乏に対処して、収容所の命令で将校をも含めて捕虜は農地の開墾に参加した。まさに、「私たちは、生きんがために進んで開墾作業に従事した。」という状況であった。しかし […]
2011年2月19日 / 最終更新日 : 2011年2月19日 times おかめはちもく 上島町生名橋開通 急がれる因島側の待機レーン 平成の大合併で因島が越県合併のラブコールをした愛媛県上島四島のうち弓削―佐島―生名島の3島が橋で結ばれ、ほのかな希望の灯をともした。
2011年2月19日 / 最終更新日 : 2015年6月27日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【5】 これまでのあらすじ― 1904年(明治37年)日系カナダ人として生まれたキミコは5歳のころからソルト・スプリング島からバンクーバーまでの運河をオカノ家が所有する大きな魚売り漁船を運転。船を埠頭に着岸する時だけ父親のクマノ […]
2011年2月19日 / 最終更新日 : 2011年2月19日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【59】 時代遺跡の島(10) 因島捕虜収容所(8) 「1943年12月18日(土)午前九時、土生の捕虜仲間だった将校4人と私、土生収容所の〝微笑者(スマイラー)〟軍曹、それに善通寺から私たちをつれにきた日本軍の准尉――。この7人 […]
2011年2月12日 / 最終更新日 : 2011年2月12日 times おかめはちもく 4月は地方統一選挙 尾道市が一心グループの因島観光開発(株)に譲渡した国民宿舎いんのしまロッジのリニューアルオープンセレモニー会場は約100余人の政界経済界やコミュニティー各種団体長が招待された。めでたい席であったが、4月の統一地方選挙を […]
2011年2月12日 / 最終更新日 : 2015年6月27日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【4】 島を訪れると、ここに住む人々の温かさ、地域社会のなかでの信頼、助け合って生活している姿勢は観光客にも伝わっているようです。もともと環境保護への意識が高いカナダですが、なかでもソルトスプリング島は農地や保護管理地が多く建築 […]
2011年2月12日 / 最終更新日 : 2011年2月12日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【58】 時代遺跡の島(9) 因島捕虜収容所(7) 劣悪な労働条件の造船所で、捕虜たちは作業についた。ここでも彼らは、部隊としての連携をとりながら、労働環境を少しでも改善しようと努力した。待遇も彼らを監督する日本人によってかなり違 […]
2011年2月5日 / 最終更新日 : 2015年6月27日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【3】 彼女の晩年は、カナダの前ブリティッシュコロンビア州知事だったWACベネット氏や放送界の伝説的人物ジャックウェブスター氏の友人でした。彼らはキミコを高く評価していたこともあって両氏は定期的にソルトスプリング島の自宅を訪れて […]
2011年2月5日 / 最終更新日 : 2011年2月5日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【57】 時代遺跡の島(8) 因島捕虜収容所(6) 英軍捕虜たちは決して囚人ではなく軍人であった。難局を迎えても座して死を待つのではなく、実に賢明な方針のもとに自らを守ろうとした。著者は次のように記している。
2011年1月29日 / 最終更新日 : 2011年1月29日 times おかめはちもく 吉田正浪氏を偲んで 彫刻家で比治山大学短期大学部名誉教授の吉田正浪氏が25日、尾道市因島田熊町の自宅で亡くなった。生れ故郷の因島田熊が大好きで大学を退官後は錦を飾るというのでなく、みかん畑に囲まれて海が見える所に「ついのすみか」を建て静か […]
2011年1月29日 / 最終更新日 : 2011年1月29日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【2】 全国一の「移民県」 全国一といわれた「移民県」の広島県人はハワイに始まって1890年代に入ると太平洋沿岸に面したカナダBC州へと広がった。日系カナダ人の大半は森林伐採や鉄道建設などで働いているが、なかには製材所を設立して […]
2011年1月29日 / 最終更新日 : 2011年1月29日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【56】 時代遺跡の島(7) 因島捕虜収容所(5) 当然のことだが収容所側は、英軍捕虜に対して、日本の軍律への服従と日本の生活に慣れることを求めた。
2011年1月22日 / 最終更新日 : 2015年6月27日 times 北米紙幣になった日本女性キミコオカノムラカミ 北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【1】 昨年の12月14日、東京在住の塩路憲雄さんからメールが届いた。塩路さんは昭和37年4月、日立造船因島工場に入社、通算10余年を過し家族にとっても因島が第2の故郷となっているそうです。
2011年1月22日 / 最終更新日 : 2011年1月22日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【55】 時代遺跡の島(6) 因島捕虜収容所(4) 捕虜たちは、造船所で働かされることについてどのように感じていたのだろうか。著者は二カ所で、それを「歓迎」する趣旨の表現を使っている。
2011年1月15日 / 最終更新日 : 2011年1月15日 times おかめはちもく 他人ごとではすまされない 秋葉広島市長の退任表明 年明けの県内ニュースでびっくりしたのは秋葉忠利広島市長(68)の退任表明。普通なら市議会か記者会見で表明するものだが、4日の市役所の仕事始め式で「任期満了の4月7日で市長としてのピリオドを打つ」と訓辞。3期目の今期限り […]
2011年1月15日 / 最終更新日 : 2011年1月15日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【54】 時代遺跡の島(5) 因島捕虜収容所(3) 「天皇のお客さん~書かれざる戦史―日本捕虜収容所」の著者であるジョン・フレッチャー‐クックが私の生まれ故郷にあった収容所に囚われの身になっていたのは、1942年11月から翌年11 […]
2011年1月1日 / 最終更新日 : 2011年1月1日 times せとうち花壇 新しき三年日記に書き始むわが血を分ける全員集うと 吉原浩子 日記とは、日々起きた出来事を記するのであるが、何年も何十年もやれる人は多くはいない。ときに小説家や政治家の日記が発表されることがあり、貴重な資料となっており、時代性、人間性を感じさせらるものがある。
2011年1月1日 / 最終更新日 : 2011年1月1日 times せとうち花壇 初春の寺の炬燵に楽しげにおんな五人の会話は続く 三島美知子 正月の三日か、あるいは五日か寺総代をやっておられる奥様たちかも知れない。日頃の憂さを忘れての一と時と言えよう。
2011年1月1日 / 最終更新日 : 2011年1月1日 times おかめはちもく メディアの在り方 公憤(おおやけにいきどおる) 明けましておめでとうございます。各方面の友人、知人の年賀状やブログによると、先行き不安な世情がつづられている。
2010年12月25日 / 最終更新日 : 2010年12月25日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【53】 時代遺跡の島(4) 因島捕虜収容所(2) 因島などの捕虜収容所における「虐待行為」をテーマにしたテレビドキュメンタリー「212枚の認識票~英軍捕虜の傷痕と戦後補償~」を改めて見直して、再びそれへの物足りなさと、その内容の […]
2010年12月25日 / 最終更新日 : 2010年12月25日 times おかめはちもく 年の瀬「光陰矢の如し」「歳月人を待たず」 八十路を過ぎると「このごろは日がたつのがはやくて…」というグチが時候のあいさつの中に出てくるが、年の瀬ともなると若い者まで同じような言葉をもらすようだ。
2010年12月18日 / 最終更新日 : 2010年12月18日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【52】 時代遺跡の島(3) 因島捕虜収容所(1) 第二次世界大戦下の1942年11月から敗戦までのおよそ3年間、因島三庄町に英軍捕虜収容所があった。私が生まれた家から2、300メートルのところで、海沿いの木造二階建ての建物である […]
2010年12月18日 / 最終更新日 : 2010年12月18日 times おかめはちもく 2010年の書「暑」について 今年の世相を一文字で表す漢字は「暑(しょ、あつ)い」という字が京都・清水寺の舞台で特大の筆で揮毫(きごう)された。喉(のど)元過ぎれば熱さを忘れる―ということわざがあるが、ほんの数カ月前の酷暑を忘れて寒い冬を迎えている […]