2011年4月9日 / 最終更新日 : 2011年4月9日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【66】 時代遺跡の島(17) 現代史への責任(2) 日本捕虜収容所について言及したのだから私は、「捕虜虐待」問題について語らねばならない。その意味でもフレッチャー・クック氏の著作は導きの糸になった。
2011年4月2日 / 最終更新日 : 2011年4月2日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【65】 時代遺跡の島(14) 現代史への責任(1) 空襲と捕虜収容所の時代は公の歴史からすっぽりと欠落している。そればかりか地域においては、自らの現代史そのものへの言及さえ憚られる有様である。だとするならば誰かが、その時代を蘇ら […]
2011年3月26日 / 最終更新日 : 2011年3月26日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【64】 時代遺跡の島(15) 米軍作成地図 2008年8月、空襲当時に米軍が作成した、「土生 日本本州広島県因島」というタイトルの因島南部の地図が送られてきた。1万2500分の1で約60センチ四方の大きさ。無論、すべて英文である […]
2011年3月19日 / 最終更新日 : 2011年3月19日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【63】 63時代遺跡の島(14) 因島捕虜収容所(12) これまで、著者が捕虜として因島に連れてこられ、福岡県宮田で解放されるまでを見てきた。その3年半におよぶ捕虜生活のなかで著者にとって忘れられないのは、仇名”ジョ […]
2011年3月12日 / 最終更新日 : 2011年3月12日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【62】 時代遺跡の島(13) 因島捕虜収容所(11) 著者は、「エピローグ――日本を再び訪ねて 一九六九年八月」の冒頭に次のように書いている。
2011年3月5日 / 最終更新日 : 2011年3月5日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【61】 時代遺跡の島(12) 因島捕虜収容所(10) 著者が福岡県宮田の収容所にいたのは1945年の6月から9月である。その時期には、日本の敗戦は確実になっており、収容所側もそのことを自覚していたはずである。著者はここで「8月1 […]
2011年2月26日 / 最終更新日 : 2011年2月26日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【60】 時代遺跡の島(11) 因島捕虜収容所(9) 善通寺では食糧の欠乏に対処して、収容所の命令で将校をも含めて捕虜は農地の開墾に参加した。まさに、「私たちは、生きんがために進んで開墾作業に従事した。」という状況であった。しかし […]
2011年2月19日 / 最終更新日 : 2011年2月19日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【59】 時代遺跡の島(10) 因島捕虜収容所(8) 「1943年12月18日(土)午前九時、土生の捕虜仲間だった将校4人と私、土生収容所の〝微笑者(スマイラー)〟軍曹、それに善通寺から私たちをつれにきた日本軍の准尉――。この7人 […]
2011年2月12日 / 最終更新日 : 2011年2月12日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【58】 時代遺跡の島(9) 因島捕虜収容所(7) 劣悪な労働条件の造船所で、捕虜たちは作業についた。ここでも彼らは、部隊としての連携をとりながら、労働環境を少しでも改善しようと努力した。待遇も彼らを監督する日本人によってかなり違 […]
2011年2月5日 / 最終更新日 : 2011年2月5日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【57】 時代遺跡の島(8) 因島捕虜収容所(6) 英軍捕虜たちは決して囚人ではなく軍人であった。難局を迎えても座して死を待つのではなく、実に賢明な方針のもとに自らを守ろうとした。著者は次のように記している。
2011年1月29日 / 最終更新日 : 2011年1月29日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【56】 時代遺跡の島(7) 因島捕虜収容所(5) 当然のことだが収容所側は、英軍捕虜に対して、日本の軍律への服従と日本の生活に慣れることを求めた。
2011年1月22日 / 最終更新日 : 2011年1月22日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【55】 時代遺跡の島(6) 因島捕虜収容所(4) 捕虜たちは、造船所で働かされることについてどのように感じていたのだろうか。著者は二カ所で、それを「歓迎」する趣旨の表現を使っている。
2011年1月15日 / 最終更新日 : 2011年1月15日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【54】 時代遺跡の島(5) 因島捕虜収容所(3) 「天皇のお客さん~書かれざる戦史―日本捕虜収容所」の著者であるジョン・フレッチャー‐クックが私の生まれ故郷にあった収容所に囚われの身になっていたのは、1942年11月から翌年11 […]
2010年12月25日 / 最終更新日 : 2010年12月25日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【53】 時代遺跡の島(4) 因島捕虜収容所(2) 因島などの捕虜収容所における「虐待行為」をテーマにしたテレビドキュメンタリー「212枚の認識票~英軍捕虜の傷痕と戦後補償~」を改めて見直して、再びそれへの物足りなさと、その内容の […]
2010年12月18日 / 最終更新日 : 2010年12月18日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【52】 時代遺跡の島(3) 因島捕虜収容所(1) 第二次世界大戦下の1942年11月から敗戦までのおよそ3年間、因島三庄町に英軍捕虜収容所があった。私が生まれた家から2、300メートルのところで、海沿いの木造二階建ての建物である […]
2010年12月11日 / 最終更新日 : 2010年12月11日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【51】 時代遺跡の島(2) 防空壕 因島は、太平洋戦争下に使用された防空壕が多く残っている。それを見るたびにこの地は、戦場だったのだと思う。日本においては第二次世界大戦中に、米軍を中心とする連合軍による空襲が迫るなか、防空壕が […]
2010年12月4日 / 最終更新日 : 2010年12月4日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【50】 時代遺跡の島(1) 夏以降の空襲調査の成果を原稿にまとめようと準備をしていると、延坪島(ヨンピョンド)を戦場に韓国軍と北朝鮮軍の戦闘が勃発した。報道によれば住民は、島内の防空壕や仁川港などに避難したという。
2010年11月27日 / 最終更新日 : 2010年11月27日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【49】 予期せぬ出会い(3) 私が書いた「予期せぬ出会い」の原稿を送ると越智大円さんからメールが届いた。 ―原稿をプリントして、繰り返し読ませて貰いました。私の気持ちを充分に察していただき、意欲がわきます。 まさに「予期せ […]
2010年11月20日 / 最終更新日 : 2021年8月10日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【48】 予期せぬ出会い(2) BC級戦犯として処刑された捕虜収容所の村上宅次大尉と因島出身の夫人をテーマに小説に描こうとしている、愛媛県新居浜市の文筆家・越智大円さんが、因島にやってきた。書き始める前に是非とも訪れたかったという […]
2010年11月13日 / 最終更新日 : 2010年11月13日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【47】 予期せぬ出会い(1) 6月のことである。愛媛県新居浜市の文筆家の越智大円さんとの予期せぬ交流が始まった。ある方の紹介が発端であった。指定された番号に電話を入れると、予想もしない会話に発展した。
2010年11月6日 / 最終更新日 : 2010年11月6日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【46】 ある決心(4) 全国空襲被害者連絡協議会から結成集会後まもなく、大きな角封筒が届いた。会則、アピール、数種類の新聞コピーが収められていた。出席していない私は丁寧に目を通した。そして、呼びかけに応えて加入し、この団体とと […]
2010年10月30日 / 最終更新日 : 2010年10月30日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【45】 ある決心(3) 終戦記念日前日の8月14日、太平洋戦争末期の空襲の遺族や被害者が、差別なき戦後補償を求めた救済法の制定めざす、「全国空襲被害者連絡協議会」(略称・全国空襲連)を結成した。会場の東京都台東区民会館には、東 […]
2010年10月23日 / 最終更新日 : 2010年10月23日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【44】 ある決心(2) 家内が自らのルーツをたどる小旅行に大学3年の息子を同行させたことに、少々驚かされた。同時に希望を見た想いであった。今まで感じたことのない覚悟が伝わってきたからである。「自分が知るだけでは駄目で、子供にも […]
2010年10月16日 / 最終更新日 : 2010年10月16日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【43】 ある決心(1) 9月初旬のことである。家内は私に、「東京大空襲で死んだ自分の家族のことを調べるために、息子を連れて親類の家に行ってくる」と告げた。そして、10月の連休を使ってその計画を実行した。人生の大半を東京で過ごし […]
2010年10月2日 / 最終更新日 : 2010年10月2日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【42】 戦後65年―因島の秋(4) 毎年8月と9月ころになると私は体調を乱すのだが、今年は特別のようだ。Uターンして19年間の疲れがまとめて噴出したような気がした。生まれ故郷で過ごしてきたこの間のありようでは、歯が立たないほど […]
2010年9月25日 / 最終更新日 : 2010年9月25日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【41】 戦後65年―因島の秋(3) 9月初旬に東京に向かい、大学時代の友人との四十数年ぶりの再会を果たしたのだが、翌日JR福山駅に戻ってきたころ自らの体調の異変に気付いた。ただただすべてのことを忘れて眠りたかった。今年は途中で […]
2010年9月18日 / 最終更新日 : 2010年9月18日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【40】 戦後65年―因島の秋(2) 原田真二という歌手は、18歳でデビューして以来33年間の歌手生活のすべてをかけて今夏、因島の島唄「アイランド・オブ・ピース因島」を作詞・作曲し、700人の聴衆の前で歌い上げた。彼を招へいし、 […]
2010年9月11日 / 最終更新日 : 2010年9月11日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【39】 戦後65年―因島の秋(1) 個人的なことではあるが、今週に大きな出来事が連続した。本稿を書こうとしていた私に、一通のメールが入った。弁護士になるために司法試験を受けた、埼玉に住む息子からであった。その内容は、「合格した […]
2010年9月4日 / 最終更新日 : 2010年9月4日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【38】 戦後65年―因島の夏(4) 私は、大学2年の18歳のとき以来、全国各地で無数の集会やデモを行なってきたが、そのなかでも、戦後65周年―因島の夏の集いは、忘れえぬものになるだろう。それは、私にとって、昔からの夢の実現とし […]
2010年8月28日 / 最終更新日 : 2010年8月28日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【37】 戦後65年―因島の夏(3) 私がこの夏、変わったのは確実のようだ。その直接の要因は、天才ミュージシャン・原田真二さんとの出会いとふれあいである。この連載は、次の文章で始まった。