2012年8月18日 / 最終更新日 : 2012年8月18日 times 因島にて… 空襲の子Ⅱ【35】十年間の調査報告 因島空襲と行政(6) 空襲の真相を調べることは当然の営為であり、ためらいなど生まれはしないはずである。ところが私は当初から、得体の知れないプレッシャーの渦中にいた。最近、その正体が何であるか整理がついた。たったひとりで、アメリカ政府と日本政 […]
2012年1月14日 / 最終更新日 : 2012年1月14日 times 因島にて… 空襲の子Ⅱ【7】十年間の調査報告 時代の縮図、因島(5) 父は再婚し新しい家族のもとで私は昭和29年4月、椋浦小学校に入学する。戦後の「復興」と「民主主義」で日本中に活気が溢れ、その雰囲気は小さな町にも押し寄せてきたころであろう。
2011年12月17日 / 最終更新日 : 2011年12月17日 times 因島にて… 空襲の子Ⅱ【5】十年間の調査報告 時代の縮図、因島(3) 母清子が私を歌ったものがもうひとつある。私の家族は、椋浦小学校のすぐ近くの「校長住宅」に住んだが、そこで病床に臥していた母は聞こえる児童の声に、となりの町で祖父母と暮らす私を想ったのだろう。
2011年11月12日 / 最終更新日 : 2011年11月12日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【終】私と原発(6) 今から20年前に、関東大震災の再来を恐れてUターンした私と家族は、子どもたちの成長に伴い分散化した。娘は東京に就職し、息子は松山市の大学に入学した。したがってめいめいが、「3・11」を違った場所と形で体験することになっ […]
2011年11月5日 / 最終更新日 : 2017年7月1日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【23】私と原発(5) 当時、学生運動は様々な思想的試練を乗り越えながら大きな高揚を実現していった。初めて運動の総力を挙げて取り組んだ沖縄闘争(本土復帰・基地撤去・永久核基地化阻止)において突きつけられたのは、「基地を撤去すれば、沖縄は元の『イ […]
2011年10月29日 / 最終更新日 : 2011年10月29日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【22】私と原発(4) 上関原発工事現場に案内してくれる先輩に、海岸へとつづく藪のなかの小道を下りながら、繰り返しお願いした。「原発問題は勉強してなくて、苦手なんです」。事実そうであった。
2011年10月15日 / 最終更新日 : 2011年10月15日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【21】私と原発(3) 上関原発の工事現場と祝島で感じたものをどのように実らせていくか、一つの課題となった。原発建設に反対しつづける島人の暮らしを描くドキュメンタリー映画「祝の島」の製作に協力し、その上映会を行うことで、その想いを継続しようと […]
2011年10月8日 / 最終更新日 : 2011年10月8日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【20】私と原発(2) 大手電力会社から電力を購入しない電力の自給自足が理想である。「発電所」を発足させたとき、自分で電力を生産する喜びを知った。そしてその変化が、「3・11」後の「覚悟」の土台となった。「原発に文句があるなら電気を使うな」と […]
2011年10月1日 / 最終更新日 : 2011年10月1日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【19】私と原発(1) 福島第一原子力発電所の事故直後には大混乱した私ではあるが、しばらくして自分を取り戻し、ひとつの納得できる視点を獲得した。自らの生活に即して原発問題を考えることにしたのである。
2011年9月24日 / 最終更新日 : 2011年9月24日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【18】津波と作家吉村昭 5月10日の朝日新聞は次の記事を載せた。 ―「戦艦武蔵」などで知られ、2006年に死去した作家吉村昭さんが40年前に発表した記録文学「三陸海岸大津波」が東日本大震災以降、増刷を重ねている。三陸海岸を襲った3度の大津波を […]
2011年9月17日 / 最終更新日 : 2018年1月22日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【17】研究者の試練(3) 関東大震災前夜の状況を著者の石橋克彦名誉教授は、「しかし、南関東の地底は、刻々と破局に近づいていた」と表現している。 「房総・三浦半島の各地で海岸の沈降が速度を増した。小田原では、明治40年ごろ築いた堤防が、波が少し荒い […]
2011年9月10日 / 最終更新日 : 2011年9月10日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【16】研究者の試練(2) 日本地震学会長の平原和朗・京大理学研究科教授は、大地震がいつ起きてもおかしくない情勢のなかで、国民の意識のあり方について語っている。
2011年9月3日 / 最終更新日 : 2011年9月3日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【15】研究者の試練(1) 最近、ふたりの地震学者のインタビュー記事を読んだ。いずれも、まったく想定できなかった東日本大震災に衝撃をうけた心境を吐露したものである。
2011年8月27日 / 最終更新日 : 2011年8月27日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【14】津波を考える(7) 今村文彦教授は、マグニチュード九の四連動巨大地震にも言及する。 ―さらに、震源域が広がれば、マグニチュードが9になる可能性も否定できません。言うまでもなく、被害は拡大します。東はプレートの境界が相模トラフですので余地は […]
2011年8月20日 / 最終更新日 : 2011年8月20日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【13】津波を考える(6) 被害を防ぐにはどうするか。三連動地震では、大きな揺れにつづいて津波が確実に来る。しかも到達時間が早い。避難行動を急がなければならない。今村文彦教授は、車の利用について、警告している。
2011年8月13日 / 最終更新日 : 2011年8月13日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【12】津波を考える(5) 東日本大震災を受けて今村文彦教授は、「津波による人的被害の評価方法の抜本的見直し」を強調する。前号で示したように、まず「住民以外の、その場にいた人たちの人的被害」の想定の必要性を述べたうえで、「漂流物による被害の拡大」 […]
2011年8月6日 / 最終更新日 : 2011年8月6日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【11】津波を考える(4) 津波研究の第一人者である今村文彦東北大大学院災害制御研究センター教授(津波工学)は、自らメンバーとして参加した中央防災会議の三連動地震の被害想定(2003年9月)を次のように紹介する。
2011年7月23日 / 最終更新日 : 2011年7月23日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【10】津波を考える(3) 私は東日本大震災発生以来、津波研究の第一人者、今村文彦・東北大大学院災害制御研究センター教授(津波工学)の動向を追っていた。どうしてこのような大津波が起きたのか、知りたかったからだ。
2011年7月16日 / 最終更新日 : 2011年7月16日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【9】津波を考える(2) 4月5日の毎日新聞は、「東北の人たちを信じよう その忍耐と英知を」という見だしを掲げ、明治以来3回、三陸海岸を襲った巨大津波の写真を掲載している。それらは、今回の大津波被害と酷似していて衝撃的である。
2011年7月9日 / 最終更新日 : 2011年7月9日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【8】津波を考える(1) 被災地から遠く離れて生活している者にとって東日本大震災は、体感できなかった揺れではなくて、映像で実況された大津波としてあった。その映像は、23万人の死者をだした2004年のスマトラ沖地震による大津波を思い起こさせる凄ま […]
2011年7月2日 / 最終更新日 : 2011年7月2日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【7】地震学者の警鐘(5) 石橋克彦・神戸大名誉教授は、地震学者としての危機感をふりしぼって警告するのである。地震列島における原発は「制御された安全」ではなく、「本質的な安全」が必要である。しかし、地震列島の原発の本質的安全など存在しない。地震が […]
2011年6月25日 / 最終更新日 : 2011年6月25日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【6】地震学者の警鐘(4) 石橋克彦・神戸大名誉教授(地震学)は、東日本大震災後の5月23日に開かれた参議院行政監視委員会で、参考人として「原発事故と行政監視システムの在り方」について意見を述べている。石橋参考人が準備したレジメ(要点)にそって見て […]
2011年6月18日 / 最終更新日 : 2011年6月18日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【5】地震学者の警鐘(3) 1997年から「原発震災」を警告していた石橋公述人(石橋克彦・神戸大名誉教授=地震学)は、2005年2月の衆議院予算委員会で、東海地震の予想震源域の真上にある浜岡原子力発電所に焦点をあわせ、その内容を明らかにする。
2011年6月11日 / 最終更新日 : 2011年6月11日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【4】地震学者の警鐘(2) 石橋公述人(石橋克彦・神戸大名誉教授=地震学)は、日本列島の大地震の起こり方には、活動期と静穏期というのが認められるとしたうえで、優れた地震学者ならではの時代認識を提示する。
2011年5月28日 / 最終更新日 : 2011年5月28日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【2】もう逃げない ふり返ってみるに大地震というものを意識するようになったのは、大学3年目に上京して首都に住むようになってからである。瀬戸内海沿岸での生活において地震が意識にのぼることは、ほとんどなかった。
2011年5月21日 / 最終更新日 : 2011年5月21日 times 因島にて… 因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【1】東日本大震災 多くの人がそうであったかもしれないが、3・11東日本大震災によって私のすべてが変わってしまったようだ。突然の災禍の知らせに何もできないことを痛感するとともに、生起しているすべを直視し、つかみとろうと決心した。それ以来で […]
2011年5月14日 / 最終更新日 : 2011年5月14日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【終】 時代遺跡の島 (21) 現代史への責任(6) 第二次世界大戦における捕虜虐待問題を調べている私にとって、米国のビンラディン容疑者殺害は不愉快な事件であった。ホルダー司法長官がこの行為の正当性を主張するにあたり、真珠湾攻撃 […]
2011年4月30日 / 最終更新日 : 2011年4月30日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【69】 時代遺跡の島(20) 現代史への責任(5) この間、因島において捕虜生活を過ごした英軍将校の著作を素材にして、秘められた戦時下の郷土現代史を記してきた。しかし、どうしても釈然としない部分が残った。大戦下の捕虜虐待が日本軍 […]
2011年4月23日 / 最終更新日 : 2011年4月23日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【68】 時代遺跡の島(19) 現代史への責任(4) ここまで捕虜収容所問題について書いてきたのだから、長い間伏せてきた問題意識のあらいざらいを文章化しようと思う。二度とこうした機会はないことだろう。
2011年4月16日 / 最終更新日 : 2021年8月10日 times 因島にて… 因島にて… つかみかけた確信【67】 時代遺跡の島(18) 現代史への責任(3) 著者のフレッチャー‐クック氏は、因島収容所内での虐待行為について、冷徹な観察眼をもって次のように分析している。