2008年8月2日 / 最終更新日 : 2008年8月2日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【7】青木昌彦名誉教授への返信 まさかの縁(下) 椋浦町は予想だにしなかった人生上の大逆転の場になってしまった。全学連や政治闘争から逃亡するために生まれ故郷の瀬戸内海の島、そのなかでもここだけは大丈夫と思ったその場所に住み着いた故にこそ、全学連や60 […]
2008年7月26日 / 最終更新日 : 2008年7月26日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【6】青木昌彦名誉教授への返信 まさかの縁 中 青木昌彦氏と私の歩みと現在は、どのように考えても正反対である。たしかに学生運動を出発点とする意味では共通性を有しているが、そのあとはまったく異なっているように思える。交差するなどとは考えられない。
2008年7月19日 / 最終更新日 : 2022年9月17日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【5】青木昌彦名誉教授への返信 まさかの縁 上 私が松本籍を抜けて青木籍に入らなければ、おそらく青木昌彦氏との出会いはなかったであろう。まずはそのあたりから整理してみよう。 因島椋浦町の青木行(ゆき)の養子となったのは、1962年(昭和37)6月5日の […]
2008年7月12日 / 最終更新日 : 2008年7月12日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【4】青木昌彦名誉教授への返信 善は急げ 下 青木昌彦名誉教授のルーツについて考え、調査をしていて独特な親近感が生まれてきたようだ。後に青木廣光氏に説明していただくことになるのだが、昌彦氏と私は、どのような繋がりになるのか、漠然と考えるようになった。 […]
2008年7月5日 / 最終更新日 : 2008年7月5日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【3】青木昌彦名誉教授への返信 善は急げ 中 尾道市因島椋浦町は因島のなかで最も小さな町である。三月三十一日付けの統計では、五十三世帯、百十八人が住んでいる。その町の海岸近くにある墓所の一角に、青木忠右衛門の碑が建っている。 「徳川幕府軍船美嘉保丸舩 […]
2008年6月28日 / 最終更新日 : 2008年6月28日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【2】青木昌彦名誉教授への返信 善は急げ【上】 この数年間の私の行動原理は実に単純で、「善は急げ」である。荷の重い課題に取り組む場合にはとりわけそうだ。まず、世界的経済学者である青木昌彦スタンフォード大名誉教授のイメージづくりに取りかかった。
2008年6月21日 / 最終更新日 : 2008年6月21日 times ふたりの時代 青木昌彦名誉教授への返信 ふたりの時代【1】青木昌彦名誉教授への返信 プロローグ―祭の日の申し入れ 青木昌彦という名を聞いたのは、何十年ぶりのことだっただろうか。私の住む因島椋浦町にある艮神社の秋の大祭でのことだった。町の複数の有力者から「青木昌彦について調べてくれんか」と、突然申し込ま […]