2015年2月21日 / 最終更新日 : 2015年2月21日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【17・完】おわりに テレンス・ケリー氏の著作「日本人と暮らす」の12章「因島空襲」に出会うことによって、私が知りたくとも知りえなかった大戦末期の因島について、肌身で感ずることができた。これは非常に大きな成果だった。 ケリー氏の著書を読みなが […]
2015年2月14日 / 最終更新日 : 2015年2月14日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【16】四章 戦争の終結 ケリー氏の著書の12章「因島空襲」の記述が終了しようとしている。その間際に彼は、とってつけたように広島と長崎の原爆投下について書いている。 その内容は、因島空襲の描写とは打って変わって、まったく真実味がなく、説得力を欠い […]
2015年2月7日 / 最終更新日 : 2015年2月7日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【15】四章 戦争の終結 戦争の終結という局面が英軍捕虜にとって何を意味しているのか、ケリー氏は最悪の場合を想定していた。永続的な奴隷労働か、それとも全員の銃殺か。 これは真剣な話で、真実に遠からずだったと思う。最初にアメリカ軍が上陸した時に、終 […]
2015年1月31日 / 最終更新日 : 2015年1月31日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【14】第三章 因島大空襲 ケリー氏の記述にあるように捕虜収容所も攻撃された。それは無理のないことであった。収容所は三庄工場に連なる造船所の敷地に建てられており、しかも工場の岸壁と同様に海に面していた。 その日、工場とそれをとりまく居住地帯が爆弾と […]
2015年1月24日 / 最終更新日 : 2015年1月24日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【13】第三章 因島大空襲 ケリー氏の7月28日空襲の記述は、土生工場から三庄町の捕虜収容所の場面に変わる。著作の58ページに、連合軍が終戦直後に航空機から撮影した収容所の写真を掲載している。 それには、収容所の全景、さらに後方に三庄工場と三庄町神 […]
2015年1月17日 / 最終更新日 : 2015年1月17日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【12】第三章 因島大空襲 ケリー氏の写真による、7月28日空襲での土生造船所の被害の分析がつづく。ケリー氏は土生工場への空襲を目撃していないのだから、捕虜仲間に尋ねたり、連合軍資料を参考にしたに違いない。 さらに南にもっと大きな船2隻とそれらの間 […]
2014年12月20日 / 最終更新日 : 2014年12月20日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【11】第三章 因島大空襲 家老渡工場への空襲の描写はさらにつづく。 工場の側壁は、およそ5、6フィートまでがレンガか石壁でできており、その上方は屋根の高さまでガラスがはめられていた。 (外に出た時)空が機銃掃射や、爆弾投下中の飛行機で覆われている […]
2014年12月13日 / 最終更新日 : 2014年12月13日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【10】第三章 因島大空襲 いよいよケリー氏の記述は、7月28日の因島大空襲に移った。その書き出しは、「最後の、そして最も劇的な出来事は7月28日である」というものである。捕虜としてのその日の空襲体験を彼がどのように語るか、翻訳の段階から興味津々で […]
2014年12月6日 / 最終更新日 : 2014年12月6日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【9】第二章 初めての空襲 6月23日に因島の造船所に飛来した連合国側の戦闘機の群れは、最終的にどこに向かったのか。その前日の22日、B29は呉海軍工廠造兵部を攻撃し壊滅させている。これとの関連はあるのだろうか。 それにしても、5月5日や6月23日 […]
2014年11月29日 / 最終更新日 : 2014年11月29日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【8】第二章 初めての空襲 ケリー氏の「5月5日」の描写はつづく。 しかしながら、この3倍のV字編隊は、このような3集団の最初に過ぎないと判明した。なぜなら更に二つのV字編隊が現れ、合計81の巨大な爆撃機となったのである。恐ろしくないというなら、す […]
2014年11月22日 / 最終更新日 : 2014年11月22日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【7】第二章 初めての空襲 ケリー氏は、因島への最初の空襲である「3・19空襲」の際の日本側の誤認について言及している。 まず、この日の冒頭に現れた敵機を「日本軍の飛行機と推測して、船舶は砲撃を控えた」のである。さらに午前十一時に突然に現れた二十七 […]
2014年11月15日 / 最終更新日 : 2014年11月15日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【6】第二章 初めての空襲 テレンス・ケリー著「日本人と暮す」の12章「因島空襲」は次の文章で始まっている。 独、伊、日本軍からの爆撃を受け、機銃掃射を受けた後に、今度は英米軍からの爆撃・機銃掃射を受けるはめになった。 著者は、自らが置かれている日 […]
2014年11月8日 / 最終更新日 : 2014年11月8日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【5】第一章 証言者 テレンス・ケリー氏は、自著「日本人と暮す」を英国人だけではなく日本人が読むことを期待していたようだ。 今年の6月、因島図書館にケリー氏の著書が、愛知県春日井市の市野美子さんによって寄贈された。私の全く予期しなかったことだ […]
2014年10月25日 / 最終更新日 : 2014年10月25日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【4】第一章 証言者 つい最近のことである。全国の艦載機空襲被害を調査している仙台市の女性から、英機動部隊が米機動部隊とともに7月28日に因島を空襲したという調査結果が、私に届けられた。初めて知る事実である。 このリポートによって、部分的な修 […]
2014年10月18日 / 最終更新日 : 2014年10月18日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【3】第一章 証言者 私は、「天皇のお客さん」の著者であるクック氏のことを時代の証言者だと思った。彼は、戦時下の因島を実際に生きたばかりか、その体験を一冊の書籍にしたのである。残念ながらそこまでした日本人は一人もいなかった。 クック氏は次のよ […]
2014年10月11日 / 最終更新日 : 2014年10月11日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【2】第一章 証言者 因島捕虜収容所が開設されたのは、私の生まれるほぼ2年前の1942年(昭和17)11月23日である。場所は、因島三庄町八区の海岸沿いである。その正門は道路をはさんで石田芳栄堂の前にあったという。私の生家から150メートル位 […]
2014年10月4日 / 最終更新日 : 2014年10月4日 times 英軍捕虜は何を見たか 英軍捕虜は何を見たか【1】はじめに はじめに 私だけであろうか。身近なこと――例えば私の住んでいる街で何が起きて、何が起きようとしているのか――そうしたことが最も刺激的で重要なものだと感じるようになった。大きな変わりようである。 思春期から、広島や東京に飛 […]
2008年4月12日 / 最終更新日 : 2015年5月17日 times 因島三庄町 因島捕虜収容所・英軍プリチャード隊長子息 25日、三庄町跡地を訪問 太平洋戦争下の因島三庄町にあった捕虜収容所に収容されていた英国兵捕虜のハロルド・プリチャード隊長の子息イアン・プリチャードさん(69)が25日、因島を訪問する。 イアンさん一行は午前中捕虜たちが強制労働についていた日立造 […]