2010年7月10日 / 最終更新日 : 2010年7月10日 times 戦争 戦後65年・空襲記念日「慰霊と証言の集い」28日因島ポートピアはぶ 戦後65周年・因島空襲記念日の7月28日午前9時、土生(はぶ)町のポートピアはぶで、慰霊と証言の集いが開催される。犠牲者への黙祷を全員で行い、呉市のきくちレイコさんがピアノを演奏し、戦争体験者が証言を行なう。
2009年11月21日 / 最終更新日 : 2009年11月21日 times 戦争 アメリカ議会図書館が「因島空襲」本を購入 独自の調査に関心示す 1945年の米軍による因島への空襲を描いた、自主出版本「瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲」への注文が17日、アメリカ議会図書館から届いた。
2008年8月2日 / 最終更新日 : 2008年8月2日 times 戦争 因島空襲記念日 7月28日 日立造船因島工場内で遺族ら30人が慰霊の祈り 太平洋戦争末期の昭和20年、米軍は2度にわたって日立造船因島工場などに空襲を加えたが、その記念日である7月28日、遺族ら30人が同工場内の殉職碑の前で、慰霊の祈りを捧げた。参列したのは、因島田熊町の岡野宣行さんら遺族、 […]
2008年8月2日 / 最終更新日 : 2008年8月2日 times 戦争 8月6日にお参り続く瀬戸田町の原爆慰霊碑 原爆が広島市に投下されて今年で63年目を迎えるが瀬戸田町の地蔵院境内にある原爆慰霊碑には原爆投下の8月6日に、被爆者らがお参りに訪れる。建立されたのは、原爆60周年にあたる平成17年8月。瀬戸田町原爆被爆者之会が、平山 […]
2008年5月24日 / 最終更新日 : 2008年5月24日 times 戦争 瀬戸内の太平洋戦争「因島空襲」 瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲 はじめて明らかにされる切り捨てられた島の歴史 定価1,000円 お求めはこちらから
2008年5月24日 / 最終更新日 : 2015年5月17日 times 戦争 島の太平洋戦争描く「因島空襲」が出版 戦災史の欠落を修正 戦後ほとんど語られることのなかった「因島空襲」の全貌に迫った「瀬戸内の太平洋戦争―因島空襲」(青木忠著)が22日、出版された。 昨年7月28日に開催された因島空襲犠牲者慰霊祭につづいて、真相を明らかにし、犠牲者の慰霊を願 […]
2008年5月3日 / 最終更新日 : 2021年8月10日 times 戦争 戦時の父の足跡たどる元英軍捕虜隊長の子息 因島に追体験と交流の旅 太平洋戦争下の因島三庄町にあった捕虜収容所に収容されていた英国兵捕虜のハロルド・プリチャード隊長(准尉)の子息イアンさん(69)=写真右=が4月25日、因島を訪れ、亡き父の足跡をたどる追体験と交流の旅になった。 まっさき […]
2008年4月12日 / 最終更新日 : 2015年5月17日 times 因島三庄町 因島捕虜収容所・英軍プリチャード隊長子息 25日、三庄町跡地を訪問 太平洋戦争下の因島三庄町にあった捕虜収容所に収容されていた英国兵捕虜のハロルド・プリチャード隊長の子息イアン・プリチャードさん(69)が25日、因島を訪問する。 イアンさん一行は午前中捕虜たちが強制労働についていた日立造 […]
2008年2月2日 / 最終更新日 : 2008年2月2日 times 戦争 ことばの輝き最優秀賞作品「埋もれた史実因島空襲」【2】因島高校三年生研究班 現地調査(土生地区・2007年6月4日) 空襲に遭った日立造船因島工場内慰霊碑「殉護照」前にて(西門・旧正門出口付近) 案内人・青木忠 基礎知識として、造船所というと労働災害が多いという職場だということは、皆さん分かり […]
2008年1月26日 / 最終更新日 : 2008年1月26日 times 戦争 ことばの輝き最優秀賞作品「埋もれた史実因島空襲」【1】因島高校三年生研究班 因島高校生課題研究―埋もれた史実「因島空襲」が、県教委の平成19年度「ことばの輝き」優秀作品コンクールの課題研究・卒業論文部門で、最優秀賞に輝いた。同校の了解をえて、その全文を本紙に掲載する。
2008年1月19日 / 最終更新日 : 2015年4月13日 times 因島高校 因島高生課題研究報告 埋もれた史実「因島空襲」広島県コンクールで最優秀賞 「書く」力を身に付けるために広島県教委が行なう、平成19年度「ことばの輝き」優秀作品コンクールの高校の課題研究・卒業論文部門で、因島高校3年生による研究報告「埋もれた史実『因島空襲』~現地調査報告~」が最優秀賞に輝いた。 […]
2007年12月22日 / 最終更新日 : 2007年12月22日 times 戦争 戦争体験記 平和への祈り 小林美喜夫さんが語るシベリア抑留体験【下】 小林美喜夫さんが軍隊に入営したのは昭和15年4月シベリアの収容所生活から解放されて故国の舞鶴に上陸し、両親と妻に再会したのが22年5月のことであった。その間、7年2カ月間の年月が経っていた。
2007年12月15日 / 最終更新日 : 2007年12月15日 times 戦争 戦争体験記 平和への祈り 小林美喜夫さんが語るシベリア抑留体験【中】 ソ連は昭和20年8月8日日ソ中立条約をほごにして日本に宣戦布告し、満州・朝鮮に一挙に侵入した。 そのころ小林美喜夫陸軍獣医務曹長はハイラルから鄭家屯(ていかとん)という小さな町に移動し、新たな軍務についていた。しかし […]
2007年12月8日 / 最終更新日 : 2007年12月8日 times 戦争 戦争体験記 平和への祈り 小林美喜夫さんが語るシベリア抑留体験【上】 因島重井町の小林美喜夫さん(88)は平成13年4月、「八十路の回顧―運根鈍」を自費出版し、そのなかでシベリア抑留体験について詳しく語っている。「むすび」のなかで小林さんは、その出版の動機を次のように記している。
2007年10月20日 / 最終更新日 : 2007年10月20日 times 国際交流 元英軍捕虜が博愛幼稚園訪問 第二次世界大戦中、東南アジア各地で日本軍の捕虜となった元イギリス兵捕虜とその遺族8人が12日、日英交流の一環として来日し全国各地で交流した。16日には、瀬戸田町の博愛幼稚園(角野裕三園長)を訪ね園児たちと交流した。
2007年8月4日 / 最終更新日 : 2007年8月4日 times 戦争 遺族ら200人 因島空襲慰霊祭 本格的な調査訴え 太平洋戦争末期の昭和平成20年7月28日に尾道市因島は米空軍の激しい空襲を受けたが、島をあげての「因島空襲犠牲者慰霊祭」が62年目の7月28日、因島土生町で行なわれ遺族や空襲体験者ら約200人が参列した。
2007年7月7日 / 最終更新日 : 2018年11月5日 times pickup 悲運の伊33号潜水艦 三庄ドックでの最期の姿 読者から寄せられた写真 悲運の潜水艦と呼ばれる伊33号潜水艦、三庄ドックでの最期の姿を写した写真4枚が、読者から寄せられた。3枚を掲載する。 太平洋戦争下の昭和19年6月13日に訓練中の事故で乗組員102人とともに松山沖の海底に沈んだ。それから […]
2007年7月7日 / 最終更新日 : 2017年11月23日 times 因島ユネスコ協会 因島空襲犠牲者慰霊祭 島をあげて祈り広がる 尾道市長、議長らも列席 戦後62年目の平和の祈り―因島空襲犠牲者慰霊祭は7月28日(土)午前11時から、市営中央駐車場多目的ホールで行なわれるが、その趣旨が浸透しはじめ、島をあげた慰霊行事になろうとしている。 戦後62年目にして初めて遺族、被害 […]
2007年6月16日 / 最終更新日 : 2018年4月27日 times 戦争 伊33号潜水艦遺族会 現地興居島で慰霊祭 因島関係者と交流 昭和19年6月13日訓練中の事故で沈没し、9年ぶりに引き揚げられ、因島の日立造船三庄工場で解体された伊33号潜水艦の殉職者102人の遺族会は13日、慰霊祭を行なった。 場所は、慰霊碑がある松山市興居(ごご)島。そこからは […]
2007年6月16日 / 最終更新日 : 2020年6月8日 times せとうち花壇 中国の大地を転戦せし老いの「麦と兵隊」歌うに唱和す 中国の 大地を転戦せし老いの 「麦と兵隊」歌うに唱和す(柏原幸枝) 「麦と兵隊」を歌っている席はどのような席かは不明であるが、そこに立ち上がって、思わず口を衝いて出て来るのは青春の日の歌である。とは言うものの、気が付けば […]
2007年5月26日 / 最終更新日 : 2007年5月26日 times 戦争 因島戦没者合同慰霊祭 戦死者1304人を追悼 平谷尾道市長らが列席 因島遺族会(杉本秀会長)は20日、62回目となる平成十九年度因島戦没者合同慰霊祭を因島市民会館大ホールで行なった。遺族をはじめ、平谷祐宏尾道市長、7人の尾道市会議員ら約120人が列席した。
2007年5月19日 / 最終更新日 : 2018年1月13日 times 戦争 戦後62年目にして平和の祈り 因島空襲犠牲者慰霊祭 市営駐車場 多目的ホール 因島が2度目の空襲を受け、日立造船因島工場や三庄町で多くの犠牲者がでた63回目の7月28日がめぐってこようとしている。 資料によれば、米空軍は昭和20年7月28日午前11時45分から7分間にわたって空爆。最新の調査の結果 […]
2007年3月10日 / 最終更新日 : 2021年8月10日 times 国際交流 因島折古の浜で海水浴 英国兵捕虜写真を公開 昭和20年9月帰国直前 10年間にわたって行われた元戦争捕虜招聘事業が昨年10月で終了したのに伴い外務省欧州局西欧課の海野哲也外務事務官が6日、向島町、7日、因島三庄町を訪れ、関係者に感謝を述べた。 そしてその際、戦争が終了し解放された英国兵捕 […]
2005年8月20日 / 最終更新日 : 2015年4月16日 times せとうち花壇 断崖から身を投じたる沖縄の主婦の映像ひえびえと見る 片山 哲子 今年で戦後六十年を迎える。八月十五日の正午に聞いた昭和天皇の声(玉音放送)に、一億の日本国民みんな沈痛な思い、またそれ以上の悲しみに沈んだ一日であった。 右の歌は、この日より二ヶ月前の映像を歌ったものであ […]