2011年9月10日 / 最終更新日 : 2011年9月10日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【22】新発見 秀策揮毫の碁盤 三原の殿様下賜の逸品 「拳骨和尚の落款」 閑話休題 本因坊秀策が揮毫した碁盤を所蔵しているという"話"を耳にすることはあるが、秀策が十四世跡目であったことと、幕末というご時世もあって数少ない。そのほか前人未到というお城碁十 […]
2011年9月3日 / 最終更新日 : 2011年9月3日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【21】新発見 秀策揮毫の碁盤 三原の殿様下賜の逸品 80年ぶり里帰り これまで、本因坊秀策の遺品を収蔵していた因島外浦町の生家である桒原家をはじめ日本棋院関係者や地元研究者らの文献に三原城主浅野甲斐守忠敬公から贈られた碁盤が桒原家に存在していたという話はなかった。ところ […]
2011年8月27日 / 最終更新日 : 2021年11月27日 times 久保田権四郎翁 碁打ち探訪今昔四方山話【20】新発見 秀策揮毫の碁盤 三原の殿様下賜の逸品 本因坊秀策の書簡が最も多く所蔵されていたのは尾道市因島外浦町宮谷の秀策生誕の地にある生家である。既に記したように秀策の甥孫に当たる桒原澄次氏が秀策の遺品を守って七男の八千夫氏(石切風切宮司)へと引き継がれた。そして現在、 […]
2011年7月16日 / 最終更新日 : 2011年7月16日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【19】消えた秀策揮毫の碁盤 八十年ぶりの里帰り 閑話休題 まず、お詫びしなければならないのは「消えた三原城主浅野公下賜の秀策揮毫の碁盤が百五十年ぶりの里帰り」と前述したのは「八十年ぶり」の誤りにつき訂正してお詫びいたします。なお、百五十年は秀策没後の年数になります。
2011年7月9日 / 最終更新日 : 2011年7月9日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【18】消えた秀策揮毫の碁盤 百五十年ぶりの里帰り 栴檀(せんだんは)二葉より芳(かんば)し―と、秀策幼少のころより、芸州浅野藩公お抱えの棋士が、お殿様(三原藩主、浅野甲斐守忠敬)から下賜された碁盤をやすやすと手放すことは考えられないのですが、ともあれ180年ぶりに本因坊 […]
2011年7月2日 / 最終更新日 : 2011年7月2日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【17】消えた秀策揮毫の碁盤 百五十年ぶりの里帰り 東京在住の島田医師から寄贈された秀策揮毫の碁盤から、これまでの遺品研究保存を集録した秀策の甥(兄和三の長男)桒原寅四郎氏の「本因坊秀策小伝」にも見当たらなかった新事実が浮かび上がりました。
2011年6月25日 / 最終更新日 : 2011年6月25日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【16】消えた秀策揮毫の碁盤 百五十年ぶりの里帰り 郷土出身で幕末を駆け抜けた偉大な天才棋士、本因坊秀策伝の連載を休止しているうちに未発表だった秀策揮毫の碁盤と備後(福山)鞆町の保命酒本舗、中村家の文書から秀策と当家8代目の当主対局の棋譜が出てきたので解説をしてほしいとい […]
2011年1月15日 / 最終更新日 : 2011年1月15日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【15】東郷元帥と乃木大将 いずれ劣らぬザル碁 (前項につづく)―それでは東郷元帥右と乃木大将はどれくらいの棋力であったかと問われると棋譜が残っていないので誰も判定することはできません。そこで、年末年始にかけて囲碁にかかわる著書や散文をむさぼるように目を通していました […]
2010年12月18日 / 最終更新日 : 2017年10月30日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【14】無類の囲碁好きだった「坂の上の雲」の正岡子規 閑話休題 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)の二部が始まったところで正岡子規(香川照之)が死んでしまった。このドラマで残念でならないのは東郷元帥も乃木大将も大久保利通も皆碁好きであったと伝えられる。と […]
2010年12月11日 / 最終更新日 : 2010年12月11日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【13】日本棋院囲碁殿堂資料館と徳川宗家一八代当主(4) 世が世であれば、お言葉も交わせられない徳川将軍さまや島根県大田市の長者、十三世山崎様(碁聖道策の子孫)と談笑しているところへやって来たのが囲碁界で人気上昇中の張栩(ちょうしょう)名人(24)と小林泉美(いずみ)女流名人夫 […]
2010年12月4日 / 最終更新日 : 2010年12月4日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【12】日本棋院囲碁殿堂資料館と徳川宗家一八代当主(3) 徳川家康が日本棋院第一回殿堂入りを果たしたのは当然のことと思われますが、あえて異論を唱えるとすれば囲碁界を庇護した功績によるものです。その他の殿堂入りは本因坊算砂、碁聖・本因坊道策、本因坊跡目秀策それに続き碁打ちの名人と […]
2010年11月27日 / 最終更新日 : 2010年11月27日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【11】日本棋院囲碁殿堂資料館と徳川宗家一八代当主(2) 日本棋院囲碁殿堂記念館オープンセレモニーのあと、本因坊秀策の殿堂入りを記念して出展依頼があった「秀策母子愛用の碁盤」の展示位置が気がかりだったので地階の殿堂記念館をのぞきました。記念式典後に一般公開される予定でしたので誰 […]
2010年11月20日 / 最終更新日 : 2010年11月20日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【10】日本棋院囲碁殿堂資料館と徳川宗家一八代当主(1) 閑話休題 有為転変の世の習いの人生で因島外浦町にある碁聖・本因坊秀策の生家とご縁ができて平成16年(2004)11月15日には日本棋院創立80周年記念式典に秀策記念館長の代理として出席するという栄誉ある機会をたまわり一生 […]
2010年11月13日 / 最終更新日 : 2010年11月13日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【9】日本棋院囲碁殿堂資料館 第一回殿堂入徳川将軍 45歳で囲碁の虜に 我が国の歴史上の偉人ベスト10をあげるとすれば戦国の世を統一した徳川家康が上位にランクされてもおかしくないでしょう。2004年11月、日本棋院創立80周年記念事業として設立された殿堂資料館第1号に徳川 […]
2010年11月6日 / 最終更新日 : 2010年11月6日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【8】アマ本因坊戦をめぐる(一)よきライバル菊池さん どの世界でも一流になった人にはよきライバルがいたようです。囲碁の天才児と注目されていた因島出身の村上文祥さんも例外ではありませんでした。仕事上のライバルはさておき、趣味の囲碁仲間のライバルといえば大学時代に出会い社会人に […]
2010年10月30日 / 最終更新日 : 2010年10月30日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【7】故郷に錦飾った文祥さん 囲碁を通し因島に貢献 故郷のヒナ壇でスポットをあびたのは地元土生町出身の文祥さん。国際アマトップグループの実績を持っての村上文祥6段の登壇だった。大盤解説者の竜騎兵と聞き手側に立つ文祥さんのやりとりも参加者をよろこばせました。何しろ大学卒業 […]
2010年10月23日 / 最終更新日 : 2010年10月23日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【6】因島市制30周年事業 ビッグタイトル戦を実施 戦後の市町村合併特例法に飛び乗って御調郡(みつぎぐん)から抜け出し因島7ヵ町村が合併して因島市が誕生したのは昭和27年(1952)。全国で数ある島の中で「1島1市」が誕生したのは初めてのことでした。人口4万人足らずの小 […]
2010年10月16日 / 最終更新日 : 2010年10月16日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【5】因島が誇る囲碁の寵児 アマ本因坊村上文祥氏 村上文祥氏を知ったのは新制土生高等学校(現因島高校)に編入した時でした。県立土生高等女学校に男女共学の高等学校が併設されたことで島外へ出た中学生のほとんどが帰ってきました。尾中・尾商組、三原中・工業組、今治中学、広島組な […]
2010年10月2日 / 最終更新日 : 2010年10月2日 times 因島高校同窓会 碁打ち探訪今昔四方山話【4】戦争から解放された 占領下の学生時代 島の中学生(旧制)は船通か寄宿舎または下宿生活でした。いまのように橋が架かっていなく船が唯一の交通機関だったので小学校を卒業して進学組はそれぞれ普通科、商業、工業などのほか小学校高等科卒業後、師範、商船、造船、農業、鉄道 […]
2010年9月25日 / 最終更新日 : 2010年9月25日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【3】ライバル菊池康郎さん ポカのぼやき文祥さん 村上文祥さんは因島生まれということから「村上水軍」の末裔だと自己紹介していたころがある。囲碁の天才少年として父に連れられてプロ棋士の指導を受けていたがプロの道をあきらめ因島高校を昭和26年(1951)に卒業後、早稲田大 […]
2010年9月18日 / 最終更新日 : 2010年9月18日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【2】日本アマ棋界に貢献した因島出身の村上文祥八段 アマチュア本因坊戦優勝5回、アマ十傑戦優勝6回という戦績を残している村上文祥さんがいかに強豪であったかがうかがえる。略歴をたどって見ると、1932年尾道市因島土生町塩浜生まれ。亡くなったのは1999年だから享年67歳。天 […]
2010年9月11日 / 最終更新日 : 2018年1月31日 times 碁打ち探訪今昔四方山話 碁打ち探訪今昔四方山話【1】テレビ初放送囲碁対局 本因坊秀格―アマ本因坊村上文祥(因島出身) テレビで囲碁対局が放送されたのは昭和36年(1961年)4月29日の天皇誕生日でした。今ではインターネットというメディアの活用をすることが当り前のようになってきましたが、当時としては画期的なできごとでした。そしてアマ本因 […]