父のアルバム【8】第二章 昭和を旅する
青年期の父・隆雄は日露戦争に強い影響を受けたようだ。師範学校在学中に満州・朝鮮旅行に参加し、日露戦争の戦跡を見学した。そして、そこで感じた印象から、結婚後朝鮮行きを志望し努力したが果たされなかった。
ここでいう朝鮮行きとは教師としての赴任を意味しているのだろう。何故断念したのであろうか。家庭的な事情なのか、あるいは他の理由なのか。
父は二十代において挫折を体験したのである。意外であった。平凡な学生生活と、将来を約束された教師という職業を選択したのだと思っていたからである。
日露戦争は1904年(明治37)から1905年(明治38)のことである。父はその翌年に生まれた。私は第二次世界大戦の最終局面の昭和19年10月に誕生し、その戦争の強い影響を受けざるを得なかった。父も生まれる直前の戦争の影響という意味では同様だろう。
中国大陸、朝鮮半島、日本海を戦場にした日露戦争は直接の交戦国だけではなく、英、仏、独、米、中など世界にとっても重大な歴史的意味を持った。近年日露戦争のことを第0次世界大戦と呼ぶ学者も現れている。
四十歳近い年齢差のある父と私である。両者の日露戦争への反応の違いはやむを得ないと言わざるをえない。父はそれに共鳴し、私はどちらかと言えば否定的というところであろう。
私にとってその戦争は教科書にあった歴史の記述でしかなかったが、高校で知った、歌人の与謝野晶子が日露戦争に対して発表した「君死にたまふなかれ」の印象は忘れられない。
あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりとも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
(青木忠)
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