父のアルバム【5】第二章 昭和を旅する

父母や祖父母とのアルバムを通しての再会によって猛烈に昭和を旅してみたくなった。

教科書や公刊物の活字による歴史記述のいい加減さにうんざりしていた私である。家族の歴史を理解することを入口にして、日本や世界の歴史を眺めたら愉快だと思う。父母も祖父母も立派にその時代を生き抜いたはずだ。その体験を生かし引き継ぐことこそ私の役割だろう。

この試みに格好の文章が見つかった。父が平成九年にまとめた「満蒙開拓青少年義勇軍送出について」という文章である。これは、広島県退職校長会が発行した冊子「義勇軍」に収録されている。

父はこのなかで、学生時代―青年教師時代―戦時下の教師時代を回顧している。その内容は、父の人生を理解するうえでとても興味深い。

この時期のことについてはまったくと言っていいほど聞かされていない。もっとも以前の私だったら、そのことに反発の態度しか示さなかったに違いないのだが。

父は、広島県師範学校・福山本科第一部に在学中のことから記述を始めている。そのまま引用しよう。

《在学中満鮮旅行に参加、満州を垣間見る》

大正十四年五月、かつて日本海々戦が行われた日、門司港を出発して翌日大連港埠頭に上陸。市内見学、翌日旅順へ二日間、二〇三高地の激戦地を始め、各地の戦跡を見学し感無量であった。

その後は満鉄にて広漠とした平原を北上して奉天へ。到着し城内や市内を見学し駅近くの旅館に宿泊する。夜間外出は禁止、当時日本の勢力の及ばぬ地と感じた。更に撫順の露天掘り見学。規模の大きさに驚く。こうした資源豊かな満州は日本人の新天地として希望する者も多かったようだ。然し厳しい風土、気候に堪える者でなくてはと少々不安を感じた。

次は国境を超えて日本国の朝鮮へ入り、緊張もやわらぎ、平壤・京城・仁川・釜山を見学し関釜連絡船で帰国する。
この印象から結婚後朝鮮行きを志望し努力したが果たされなかった。

《学校卒業後短期現役兵として入隊―軍籍時代のよき体験》軍籍で空兵舎で約九十名が二等兵として、一応の教育訓練を受け八月末除隊。

《御調郡向東小学校へ赴任―平和でゆたかな教育実習時代》九年七ヶ月間よき先輩・同僚に恵まれて、指導され自己研修、三年目には研究会を主となり開催等、今日の基づくりとなった。

父は大正十五年三月に師範学校を卒業。その直後、軍隊に体験入隊している。

父の教師生活は向島から始まった。その間の昭和六年十二月に結婚している。

福山師範学校時代の父である(写真中央の帽子姿)。学生時代の写真はこの一枚しか残っていない。おそらく空襲の際になくなったのであろう。

(青木忠)

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