ふたりの時代【25】青木昌彦名誉教授への返信

学生運動私論(下)
 大学において学生が結束してしまえば大学当局は二進も三進も行かない。警官導入でどうにかなるものではない。とりわけ当時の東大駒場には、旧制一高時代以来の伝統で「警察は一歩も入れてはいけない」という警官アレルギーが渦巻いていた。さてその後、どうなったのか。

 ―もうこうなっては雪崩のようなもので、学校側も覚悟を決めた。本日の試験中止を宣告した。(中略)時計台の前の広場に全員が集まって勝利を確認、学校へ抗議するとともに、十・五レッドパージ、全学ストへの闘いを誓い合った。緊急教授会も開かれ、試験の無期延期を決め、直ちに休校を宣言した。(中略)

 そして10月5日全都のスト。本郷の東大へ全都大学の学生が終結し、大会を開くことになる。大学は門を全部閉ざし開けなかったが、これを内外からぶち壊し一万名に上る学生が安田講堂前に集結する。
 戒厳令のような状態でのこの学生の大規模闘争は、連日社会面のみならず政治面もにぎわし、この中で天野文相は当時言明していた政令62号によるレッドパージは行なわないと言明せざるをえなかった。労働界で残されていた電産、公務員、新聞、報道機関と続いた50年のレッドパージは、この闘いによってストップせざるをえなかった。大学教員のパージは見送られたのである。
 詳述した全学連の反レッドパージ闘争は、戦後学生運動の金字塔である。全日本学生自治会総連合(全学連)は1948年9月、全国国公私立百45大学30万名が加盟して結成された。
 そもそも学生自治会は、全員加盟制の大学公認の機関である。学生は入学時に入学金とともに自治会費を納め、会員になる。方針は、執行委員会が各クラスから選出された代議員によって構成される代議員会に提案し、議決されて自治会の方針になる。最高議決機関は学生大会ないしは全学投票である。財政は自治会費によって賄われる。
 全学連の60年安保闘争のまれにみる大衆性と戦闘性は、この闘争が全員加盟制の学生自治会を母体にしていることによる。青木昌彦氏は「私の履歴書 人生越境ゲーム」のなかで、次のように記している。

 ―当時の学生運動はクラス討論を基礎として、そこで選ばれた代議員の大会で授業放棄やストライキが決議されるという、戦後民主主義を画に描いたようなモデルに従っていた。その頃になるとブンドと共産党は各大学の自治会のリーダーシップをめぐって激しく競い合ったが、それも大衆討議にもとづいていた。

 クラス討論とは、授業が始まる前にクラスで行なう討論のことで、活発な討論ぬきに自治会は成立しない。すでに述べたように学生自治会は全員加盟制であるが故に、様々な意見をもった学生がいる。学生間に共通なイデオロギーや利害があるわけではない。最大公約数としてあるのは、「学生のことは学生自身で決めよう」という「学生自治の精神」でしかない。
 60年安保闘争における全学連の行動が各大学の自治会の方針になりえた根拠には、学生内部での激烈な討論の蓄積があった。国会突入を掲げた方針のもとに全都の学生が1万人規模で参加するということは、すさまじいエネルギーの爆発である。
 学生には固有の問題がある。逮捕されたり、処分されたりすると、将来は台無しになってしまうかも知れない。学費を出してくれている家族との対立は学生を悩ませる。苦学生が多い当時のことである。家庭教師などアルバイトはどうするのか。あらゆる青春の苦悩を超えて闘いに参加していったのであろう。それは職業選択ではなく、ひとつの人生選択を意味していたのではなかろうか。
(青木忠)

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