父のアルバム【2】第一章 まさかの発見

2階の一室には養母が集めた各種の文学全集が棚に置かれていた。これらは長兄に依頼されたのだが、私が保存することにした。本の重さたるや大変なもので移動に汗を流すことになる。

その部屋は大学受験の際、私が使用していたところで、そのころの思い出の品もまだ残っていた。高校時代の授業ノートが10冊位見つかったのである。

夏に帰省した娘に実家が解体されることを話すと、彼女は「自分も入ってみたい」と強い興味を示した。このことが思わぬ幸運をもたらすのである。娘と妻とともに三人で最後の探索を行なうことになった。

私が同居した時に父の使った部屋の床の間に最も求めたいものがあった。父が大事に保存したのであろう、父と生母の古いアルバムが出てきたのである。祖父のものもあった。貴重なノートや冊子もそこに隠れていた。

思いがけない発見であった。これらが空襲で消失したものと思い込んでいたからである。父が大切にまとめて保存していたに違いない。

「やった」と私は小さくガッツポーズをとった。同時にぞっとした。娘の一言で実現した探索がなければ、見たことのない大量の写真と永遠にサヨナラだった。

3人のアルバムはいずれも黒ずんでおり、私が生まれる前のものである。分厚い1冊が父のものだ。生母のものは小型の2冊。その1冊に名前のイニシャルの記入がある。ふたりの結婚記念写真もあった。祖父のものは一番古いのだろう、ページがばらけていた。

古いアルバムと同じ場所から草色の表紙の冊子が出てきた。「義勇軍」とタイトルがついている。広島県退職校長会が平成10年に発行したものである。父は「満蒙開拓青少年義勇軍送出について」と題する一文を寄せている。

父の死後、父が地元の小学校教員時代に「義勇軍」に関わったことを知った。しかし、こうした冊子を見ることになるとは、と驚くばかりであった。あたかも私に読むようにとのメッセージが伝わってくるようだ。

1階でまた驚かされることになった。写真ドキュメンタリー冊子「1億人の昭和史」全15巻を見つけたのだ。これは、毎日新聞社が昭和50年3月から2年余をかけて出版したもので、おそらく父が買い求めたのであろう。

明治に生まれ、青春を大正時代に過ごし、昭和の激動を生き抜いた男ならではの志向と言えよう。私はこのシリーズが実家にあることを知らなかったのだが、それから数十年を経て、「別冊1億人の昭和史 銃後の戦史 一億総動員から本土決戦まで」を古本で購入することになる。

義勇軍(広島県退職校長会)

この別冊には、わが家を襲った空襲の写真が掲載されている。父はそのことを知っていただろうか。この冊子は次世代へのメッセージを伝える。今までまったく知らなかった父の苦悩を感じた。

(青木忠)

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