「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【45】第七章 君たちへ

最近の私には、父の遺言に応えつつあるという自負が芽生えている。

あの時の怒号にも似た父の叫びを繰り返し思い出す。「お前が今生きておれるのは、お母ちゃんとお祖母さんが身を挺してお前を守ってくれたからだ。それを忘れるな」

明治生まれの父が歩んだ道―とりわけその「激動の昭和」の生きざまを正面から受けとめ、それを継承していく新しい道を私は選択したのである。

大ざっぱに言って私の人生は三期に分けられる。第一期は父の歩んだ道をそのまま歩もうとした、大学入学までである。懸命に父のような教師になろうとした。当然、同じ大学、学部、学科に進んだ。

第二期は、父の人生のあり方に疑問を抱き、それとは別に納得できる自らのオリジナルな人生の確立をめざしたのである。父母の期待を裏切り、教師にならないと決めた。その世界は、成長する己にとっては余りに狭いと痛感したからだ。

生活拠点も予想もしなかったことだが、首都東京に移し、全国、全世界に想いを馳せた。しかし、意外と思われるかもしれないが、父母や生まれ故郷のことを忘れたことは一度もなかった。そして、そのことが自らの個性を育み、後の人生の第三期へのきっかけとなった。

第三期とは言うまでもないが、生まれ故郷での生き直しである。二十余年間の、一旦は終の棲家と決めた東京での生活を投げ捨てて、独居の父との同居をスタートさせた。そして家族として根付くことをどうにかやりとげ、充実した日々を創造できたのである。

こうして私の人生は父との関わりのなかで分類できるほどなのである。数年前に父をよく知る人から次のように言われた。

(私に関する)話を聞いていたのだけど、あの本(「瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲」)を買って、お会いしたいと思った。まるで松本先生に会えるような気持ちだ。顔は違うが心意気は同じだ。

それを聞いて、「なるほど」と感じた。ある瞬間、自分でもそのように思う時があるからだ。年を重ねるごとにその回数が増えていくのである。

父が遺した言葉で忘れられない、好きなものがある。

鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となるなる勿(なか)れ
「独立心の大切さを説いたもの。小さな団体の長になる方が大組織の末端にいるよりも良いとの意。」(青山忠一監修「ことわざ辞典」(永岡書店)

いつのころか忘れたが、確か柑橘畑への行き帰りに父はこの言葉を説いた。今では私は、この言葉を「独創性、オリジナリティの大切さ」と理解している。オリジナリティこそわが命である。

父との対立は長くそして激しかった。思春期の反抗期は、表面上はともかく内面ではかなり深刻だった。それが一挙に噴火したのが大学時代だったのだろう。それが四十代初めまでつづくのである。この対立は、私がUターンしても終止符が打たれなかった。

しかし、思うのだ。この対立は父と私があまりにも似たもの同士だったからではないだろうか。そのように思わざるを得ないのである。

(青木忠)

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