「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【40】第七章 君たちへ

70年目の空襲記念日の前後は、仲宗根さん一家の調査にとって決定的な時期であった。特別に関心が集中しているその時期に情報が集められないとしたら、調査にひとつの区切りをつけねばならないからだ。

6月初旬、調査開始以来ずっと聞き取りをしたかった女性に会うことができた。彼女は空襲当時、12歳。仲宗根さん一家が即死した「カキノ屋」の一階に豆腐店の家族として住んでいた。その日は、母や弟が家屋の下敷きになったが、本人は外出していて無事だった。下敷きになったふたりも這い出すことができた。聞き取りの結果は次の通りである。

仲宗根さんは一階の奥に住んでいた。私の家と違って一家の部屋は遮るものが何もなかったので崩れた建物が直撃した。蚊帳のなかで並んで死んでいた。

お祖母さんは、たまたま小用の津山自転車屋の隣の精米所で麦をついてもらいに行っていて助かった。

ここで出てくるお祖母さんが鍵を握っている。仲宗根さん一家六人は彼女を頼って大阪から疎開し、「カキノ屋」に住み着いたという。頼りにされたのだから、お祖母さんは何らかの理由で地元に長く住んでいたに違いない。

三つの仮説を立ててみた。

第一に夫婦で沖縄からやってきて住みついた。

第二に地元の男性のもとに嫁いだ。

第三に仕事を求めて沖縄からやってきた。

しかし、どれだけ調べても、第一と第二の仮説に合う痕跡は出てこなかった。そうなると消去法になるが、第三の場合が有力になってくるのである。

当時、「カキノ屋」があった辺りは、造船所関係者を対象にした島を代表する歓楽街であった。地元の人が調べたところによると次のような街並みであった。

割烹料理2、芸妓置屋7、見番1、日本髪結店1、写真店2、料理店1、すし店1、洋服仕立て店1、ビリヤード・麻雀店1、仕出店1、靴店1、菓子店1、雑貨店2、理髪店2、時計店1、食料品店2、クリーニング店1、酒店2、玩具店1、種物店1、食堂1、薬屋1、喫茶店1、米屋1。それに加えて郵便局と神社があった。

また別の地元の人は、「備後クラブの下は花街で、夜でも昼間のように明るく、賑わっていました」と記している。私も地元の年輩の人から「夕方になると三味線の音が聞こえ、芸者さんが歩いていた」と聞いた。

こうした街には女性の働き口は多くあり、遠方からもかなりの人数が働きにきていたのではないか。

さらに三つのことを調べた。

第一は、「カキノ屋」への爆撃の目撃者はいないか。

第二は、「半狂乱になって叫んでいた」祖母の姿を見た人はいないか。

第三は、仲宗根さんの家族を覚えていないか。

残念ながら仲宗根さん家族を覚えている地元の人は新たに発見できなかった。このことは絶望であると判断した。

私の生家、「カキノ屋」、理髪店の三軒を襲い、全壊させた爆弾は、道路の反対側の家屋にも被害を与えたことが確かめられた。爆弾が空高く巻き上げた大きな石が落下し、屋根に穴をあけ、命拾いをしたという。
心当たりの人への聞き取りをつづけるなかでつぎのような目撃談も出てきた。

「『カキノ屋』がマッチ箱のようにつぶれていた」

「沢山の柱の下から『助けてくれ』という女性の声が聞こえた」

大人の人が「叫んでいる人は『カキノ屋』で働いていた外国人だから」と言った。

(青木忠)

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