ふたりの時代【18】青木昌彦名誉教授への返信

源流を訪ねて 一
 10月19日の日曜日、私は因島椋浦町にある艮神社・秋の大祭のなかにいた。青木昌彦氏と出会ってからもう1年が過ぎたのだ。


 60年安保のことを調べていて、私の人生の源流もここにあるのだと思った。戦後最大の政治闘争といわれる60年安保闘争と私の大学受験戦争は重なった。高校2年のホームルームの時間だったと思うが、広島大出身の担任の教師が突然、あからさまに学生運動の活動家を非難したことがある。その迫力に押されて私は、納得させられてしまった。しかし3年生の担任は回想として、「君は学生運動を始めると思っていたよ。たえず自分の意見はこうだと言っていたもの」と語ってくれた。そう言えば、姉の書棚から1956年の砂川基地拡張反対闘争を描いた本を探し出し、読んだのもそのころだったのかもしれない。
 「私の履歴書 人生越境ゲーム」冒頭の次の記述に強くひかれた。
 ―通常、学者の人生は波瀾万丈とはほど遠いものであろうし、学者になることを漠然と考え始めた高校時代には、来るべき人生の波動を予想していたわけでもない。だが大学生時代には学生運動熱が昂じて東京・巣鴨の拘置所で独房生活を送ったり、その余波で留学先のアメリカで国外退去の通知を受けたこともあった。これらのことはこれまでの自分の意識の底に沈めてきたが、今人生を振り返る機会を得てみると、やはり一筋の糸のように貫いている何かがあるのか、と考える。
 ―(前略)いずれにせよ、「七転び八起き」とまではいかないが、「新しい企てへのコミットメント→それなりの達成感か、挫折による引きこもり→リセット」という懲りない繰り返しが、私の人生や学者生活を形作ってきた。比喩的にいえば結末のない「越境ゲーム」に挑戦してきたともいえる。そのあいだ内外さまざまな人々と出会い、助けられ、そして学んできた。そうした道筋を時代の移り変わりとの関わりにおいて書いて行きたい。
 そこでまず、その挫折から今ある私が発芽してきたともいうべき、学生運動時代から話を始めることにしよう。
 私はすでにふれたように、20年間にわたる破壊活動防止法被告事件の法廷において、自らの思想と行動の正当性について主張し、立証してきた。それは、最高裁で有罪となり、はね返されたが、徒労に終ったわけではない。その20年間が、揺るぎない人生上の土台になっている。
 最近は「因島空襲」への調査を通じて、自分が生を受けた太平洋戦争末期の諸相に興味をかたむけてきた。そうしたなかで、法廷で述べた内容の範囲を大幅に拡大して、自分の生きてきた人生との関わりにおいて、時代を語ってみたくなった。その意味でも60年安保世代との出会いは刺激的であった。その世代は、空襲・原爆そして敗戦を幼少年期に体験しているからだ。
 その世代の最年長者のなかには、「軍国少年」として米軍との本土決戦に本気になった者もいるだろう。あの「鬼畜米英」の戦前・戦中から「アメリカによる民主化」の劇的転換が彼らの目にどのように映ったであろうか。私のように生後10カ月の赤子で空襲に見舞われた者は、1番年下になる。
 60年安保闘争とそれを受け継いだ70年安保闘争を担ったメンバーは、幼少期に戦争と敗戦を体験し、それを最大の精神的なよりどころとして、再び戦争に進もうとする時代に立ち向かおうとしたのではないだろうか。
 源流を探し求めるには、それぞれの体験に耳をかたむけて見る必要がある。不思議なことに私自身、彼らにそのことについて一度も聞いたこともなく、語ったこともなかった。私の関心事は、特攻隊として出撃して行った学徒出陣の大学生に限られていたのだ。

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