「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【34】第六章 最後の旅路

那覇から因島に帰った翌日、仲宗根さん一家が亡くなった現場を訪れた。対馬丸記念館の野原淳子さんからことづかった琉球菓子を仲宗根さんに供えるためである。爆撃の犠牲になった幼子5人を想ってのことで、その菓子は「ちんすこう」と「冬瓜漬アソート」である。

野原さんはもともと、7月28日の慰霊行事にそれらを供えたかったのである。直後のメールにその事情が記されている。

記事を早速ありがとうございました。暑い中、大変お疲れ様でした。

慰霊祭の記事を読みましたが、全く思いつかなく後悔をしたことがあります。琉球菓子を供えたとありましたが、こちらの方からお菓子を送って仲宗根さんご一家のために供えて頂ければよかった…と思います。

心から御礼を申し上げます。沖縄出身の方のために祈って頂き記念館職員一同、感謝の気持ちで一杯です。

こちらからは、黙とうの気持ちしか送ることができませんでしたが、来年はお菓子を送らせて下さい。

実は、三原市の女性が手作りの「サータアンダギー」を供えたのだが、それが新聞記事に掲載されたのである。今年は野原さんから、「紅いもキャラメル」「紅いもタルト」「塩ちんすこう」が届いた。

以前から構想していたのだが、仲宗根さん一家の受難をテーマに作品を書こうと決心した。新年早々メールを送り、野原さんにある依頼をした。

今年は、戦争が終わって70年という特別な年ですので、新年早々、忙しく動きはじめました。悔いのない日々を送りたいと念じております。

さて、仲宗根さんご一家の受難をテーマにした作品のことです。野原さんと僕とのメールのやり取りの内容を導きとして、作品を展開したいと考えております。

野原さんのメールをすべて印刷し、保存しております。原文のまま作品に使わせていただきたいのです。いかがでしょうか。

野原さんと出会い、交流することができ、救われました。そのことで仲宗根さんご一家に近づくことができました。このことを抜きにしたら、きっと作品は成立しないと思うのです。

野原さんから了解のメールが入った。さっそく執筆の準備をすすめ、2月下旬から掲載を始めた。この作品に込めた私の想いはふたつである。

ひとつは、仲宗根さん一家の受難が私の人生に与えた意味を考えてみたかったということである。私の歩んだ人生は沖縄問題と密接不可分であると常々感じていたのだが、仲宗根さんのことを切り口にしてそのことを描きたかったのである。

もうひとつは、調査活動とは別の視点で仲宗根さん一家の実像に迫ることにあった。調査活動はあくまで客観的事実の積み重ねであって、可能なかぎり推測を排除しなければならない。

しかし、仲宗根さん一家の生と死を明らかにするには調査活動には限界があった。私は一家の生きた姿を再現したかったのである。母と子達は必死に生きようとしていたし、現に生きていたのである。

一家と生まれて間もない私が、隣人同士であったのはわずか数カ月にしか過ぎない。その共有した時間と空間をもって一家に肉迫できないものか。

この課題に全神経を研ぎ澄まし、挑戦することにしたのである。

(青木忠)

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