「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【29】第六章 最後の旅路

初めての仲宗根一家追悼行事の直後、沖縄行きを決心した。三庄空襲で亡くなった一家の足跡を探すためである。しかし、物事は単純には運ばなかった。

最初私は、対馬丸記念館の野原淳子さんを因島に招こうとした。7月22日付メールで記した。

数日前に、野原淳子さんを因島にご招待しようと決心しました。野原さんの目で、仲宗根さん一家が生活し、最後を迎えた三庄の街並みを見ていただきたい、と考えました。そして、沖縄の方々に伝えていただきたいのです。

野原さんに申し込んでいながら私は迷った。彼女に因島に来てもらうよりまず私が先に沖縄に行き、那覇市にある対馬丸記念館を訪問すべきではないのか。

その頃の私は沖縄を遠くに感じており、最早その地に行くことはないだろうと思っていた。三十年前には、「入りびたる」と表現してよいほど度々、沖縄に足を運んだ。私自身が被告であった裁判に関係してであった。しかし裁判の終了をもって沖縄行きを諦めた。観光旅行で沖縄を訪れる気にもなれなかった。

やはり今こそ沖縄に行こう、と思い立った。8月31日にその決心を告げるべく野原さんに電話をかけ、翌日メールした。

昨日は、電話でお話できてよかったです。

仲宗根さんの調査はいつも、野原さんのある一言で進展してきたと総括しております。

仲宗根さんの身元調査をやりとげるということは、なまやさしいものではありません。新しい覚悟が求められています。そこで僕は沖縄行きを決心しました。

すぐその日に野原さんの返信が届いた。

昨日はお電話ありがとうございました。

仲宗根さまの調査の件ですが、沖縄の新聞社に呼びかけをお願いすることが第一歩だと考えます。やはり、沖縄タイムス・琉球新報の両紙に取材依頼をすることが良いのではないでしょうか。

私もここに勤めて、学芸員の遺族に関する取材の取組みを見ていて知ったことです。こちらでの調査日程が決まれば記念会の理事と学芸員に、ご都合がつけば会っていただけますでしょうか。

何かお役にたつことが出来ればと思っています。

「願ったり叶ったり」とはこういう場合を言うのだろう。私の胸は高鳴った。

私は沖縄行きにもうひとつの願いを込めた。それを私の個人的な行動に終わらせず、可能なかぎり因島の住民の気持ちを代表する旅にしたかった。

7月の慰霊行事の後、「仲宗根さんの身元が分りましたか」「早く分るとよいですね」と話かけられる機会が日増しに増えていった。そこで「仲宗根さん調査基金」の設立を呼びかけ、少なからぬ協力を得た。

日程は決まった。10月27日から30日の三泊四日である。飛行機やホテルの予約は久しぶりなので手間取った。三十年前は東京の羽田空港から幾度も飛び立った。今回が初めての広島空港の利用である。

思えば空襲の調査のために全国に行った。国立国会図書館や防衛研究所のある東京が一番多い。他は福岡市、倉敷市、徳山市、今治市、広島市などである。それぞれ違った目的があった。

ついに沖縄に飛び立つことになったのだ。万感の想いがした。

(青木忠)

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