「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【28】第六章 最後の旅路

昨年の7月28日、仲宗根さんの家族が死亡し、赤子の私が生埋めになった場所に立つことにした。悲劇から69年目にして初めての仲宗根一家への慰霊行事である。尾道市と市議会関係者、地元の人たちらが出席した。慰霊の言葉を私が捧げた。

覚えていらっしゃいますか。隣の松本(青木の旧姓)の3男の忠(ただし)です。当時、私は赤ん坊で、あの日の忌まわしい空襲のせいで、皆さんとのお付き合いは、わずかな期間で途絶えました。あなた方のことは、町の人に、となりのお姉さん、私の姉から聞きました。

無念だったでしょうね。住んでいた沖縄が危うくなり大阪に疎開し、さらに大阪が危うくなり因島の三庄町にやってきたというのに、空襲の犠牲になってしまいました。

同じ爆弾であなた方は亡くなり、私は仮死状態から生還しました。それから69年経った今日、ようやく仲宗根さんの霊に向い合うことができました。今日は縁のある方々がいらっしゃっています。あなた方のふるさとの沖縄では、撃沈され多くの学童たちが亡くなった対馬丸の記念館の職員の皆さんが、あなた方に黙祷を捧げています。

とっくに皆さんの魂は沖縄に帰っておられることでしょう。しかし、誓います。あなた方をもっともっと知る努力をいたします。できるだけ多くの人たちに知ってもらい、語りつづけていきます。永遠に忘れません。

覚悟をしていたが読み上げている最中に込み上げてくるものがあり、言葉が中断した。呼吸を整え直して最後まで読みきった。

地元の人たちの好意が嬉しかった。区長に相談したところ、「回覧板と町内放送でお知らせしましょう」と励ましてくれた。当日、十数人の町民が出席したが、実際は町全体の温かい眼差しが行事をつつんだ。

対馬丸記念館の野原淳子さんから連続してメールが届いた。7月22日付けのものに心の強い繋がりを感じた。

仲宗根さん一家も、ここまで心を込め追跡をしてもらった事をとても喜んでいると思います。

同じ沖縄県民として調査に協力して頂いた方々に心より感謝を申し上げます。

26日のメールに対馬丸記念館との一体感を覚えた。

28日の慰霊祭の準備は順調でしょうか。大変お忙しいことと思います。

こちらも来月22日は対馬丸の慰霊祭で開館十周年を迎えるので、仕事と並行して名簿や会場の設定に関する準備などで時間が足りません。

慰霊祭の時間を教えていただけますか。仕事の合間に黙とうをしたいと思います。

30日のメールには次のように記されていた。

心から御礼を申し上げます。沖縄出身の方のために祈って頂き記念館職員一同、感謝の気持ちで一杯です。

こちらからは、黙とうの気持ちしか送ることができませんでしたが、来年はお菓子を送らせて下さい。

仲宗根さんの慰霊行事は、沖縄の二大紙に大きく取り上げられた。9月25日付の沖縄タイムスの見出しは次の通りだ。

「広島で戦没県人たどる―疎開の仲宗根さん母子六人」「隣家・青木さん調査―知ることが慰霊に」

10月2日付琉球新報の見出しも同様であった。

「因島空襲 県人犠牲に―仲宗根さん母子6人」「地元紙記者 青木さん、情報求め沖縄へ」

(青木忠)

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