「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【28】第五章 運命の電話

人間は自らが生まれ育ったところに絶えず戻ろうと努力をするのだろうか。そうした営みが人生行路というものなのだろうか。

最近、生まれ故郷の年長者に思わず訊いてみた。

「5人の子供のなかで自分だけが生まれたところに帰ってきたということは、この町を僕が一番好きだということなのですかね」

「そういうことになるじゃろうな」

同意の返事がもどってきた。

私は故郷の教師になるつもりで広島市の大学に進学した。ところが在学中に真反対に方向を転換し、学業を放棄してまで上京した。そして首都東京で人生を全うすることを選択した。ところが四十代後半に達したころ突然、人生の舞台を故郷に移すことにしたのである。

なぜ生まれ故郷に帰り、その場を終の棲家にすることにしたのだろうか。故郷での再生活が長くなればなるほど、その疑問は深まっていった。

思いつきで帰ってきたわけではない。だからと言って展望や計画があったわけではない。有無を言わせない強い力によって引き戻されという想いがするのである。

その強い力の正体は何なのか。最近段々と分ってきたのである。それは、故郷が好きか嫌いかというような生易しいものではない。私は、自らの内面世界に抱え込んだ宿命的な謎を解明するために帰ってきたのではないか。

その謎とは、それを解くことなくしては一歩も前に進めないほど深刻で根源的なものであると思えた。己はなぜ今、このようにして生きているのか、そもそも己は一体何者なのか。私は、その謎を解く鍵が生まれ故郷にひっそりと眠っていることを本能的に気付いたに違いないのである。

父は遺言のつもりだったのだろう。私の生後十カ月での秘められた事実を告げた。それまで私が知っていたのは、空襲で自宅が全壊し、私が死にかけたという概略的なことである。ところが父の話はまったく予期しない衝撃的なものであった。祖母と母が身を挺して守ってくれていなければ私は死んだはずだと言うのである。

それ以来私は、父の告知の内容に金縛りになった。そして徹底的にその事実を調べあげようと決心した。そうした生き方こそが自らの人生を完成させる最後の旅路であると確信した。

命がけで私を救った祖母と母はすでに私の意識のなかから欠落してしまっている。ほとんど覚えていない。そんな状態で一人前の大人と言えるのか。激しく自分を責めた。心のなかに祖母と母を蘇らせることに懸命になった。

やがて、祖母と母と私を襲った空襲が予想を超えた大規模なものであることを知ったのである。そして自ずと仲宗根さん一家の悲劇に対面することになる。

生後まもない私の生死と仲宗根家の生死は一体だった。しかし私だけが息を吹き返したのである。この現実が私の人生の原点であり、真の意味での誕生である。私はふたつの誕生日を有しているのである。
私は激しく反応し、仲宗根さん一家の実像を知ろうとした。同時にそれは己を探る営みであった。今や完全ではないがその輪郭をつかむことができた。

ならばどうすればよいのか。隣人としての仲宗根一家の死を心の底から悲しみ、涙を流すべきではないのか。もはや70年もの歳月が経っているものの、今からでも遅くはない。

私は悲劇の現場に立ち尽くし、仲宗根一家の一人ひとりに語りかけようと決意した。

(青木忠)

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