時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【9】NHK大河ドラマ「篤姫」と囲碁(その九)

 徳川家康の時代から囲碁は幕府によって保護され、教養人の間で親しまれてきた。従って、将軍や家老が囲碁が好きかどうかで囲碁の普及発展の度合いが違ったとも言われている。


 秀策の時代はどうであったか、と言えば幕末は開国派や攘夷派、尊王、佐幕派、公武合体、討幕派などが対立した。ロシアやアメリカなどの列強が日本近海に出没、泰平の眠りから覚まされた徳川幕府の老中の開国派は外国船に水や食料、燃料などを与える港を提供、国交を開こうと主張。攘夷派は外国船を武力を持って追い払うべきだと強腰の構え。尊王派は天皇(朝廷)を中心に国を立て直すべきだと言う。
 これに対し、佐幕派は260年も続いた徳川幕府こそわが国の政治の中心で「佐」には人をたすけるという意味がある―などと立場を説明。公武合体派は朝廷(公)と幕府(武)を一体化して強力な新政府の強化をはかろうという。こうした世情のなかで黒船来航以降、幕府の権威はなし崩し的に失墜しはじめた。
安政の大獄と桜田門外の変
 それに拍車をかけたのが老中堀田正睦(まさよし)。福山藩主阿部正弘の跡を継ぎ1857(安政4年)アメリカから通商条約の締結を迫られて朝廷に伺いを立てた。それが拒否されたから幕府のメンツは丸潰れ、260年続いた江戸幕府が崩壊へと向う序曲となった。
 そこで登場したのが彦根藩の井伊直弼(なおすけ)。大老に就任すると、朝廷の勅許など要らぬとばかり日米修好通商条約を結んだ。強い幕府を取り戻したいという一念で固まっていた井伊大老は、幕府の方針に異をとなえる者や思想的に入れられない人々を片っぱしから捕え処刑する恐怖の政治を実行した。世に言う1858(安政5年)に始まる「安政の大獄」である。政治的に対抗する一橋派の諸侯、吉田松陰や橋本左内ら知識人、公家など百人以上が死刑や遠島などの処罰を受けるという未曾有の弾圧事件となった。
 直弼による「安政の大獄」は、あちらこちらに禍根を残した。1860(万延元年)3月3日。江戸は、季節はずれの大雪に見舞われた。この雪の中、登城する井伊大老を乗せた駕籠(かご)を水戸藩の浪士ら十八人が襲った。護衛を切り倒した浪士たちの太刀が、次々に駕籠の中の大老に突き立てられた。敵対していた天璋院篤姫と井伊大老が茶の湯を通してお互いに理解し合う糸口をつかんだ数日後のことである。両名とも碁好きで、碁盤を囲むとどんな碁を打ったか想像するとワクワクする。秀策の書簡によると家茂(いえもち)将軍は碁好きとあるが、世情は御城碁どころではなかったようだ。(庚午一生)

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