因島・三庄空襲70周年 犠牲者追悼の集い 9人の子供の死に涙

200人近い犠牲者が出たと推測される昭和20年7月28日の因島三庄空襲。その70周年にあたる28日、三庄町七区の空襲現場で追悼の集いが開催され、遺族、体験者、地元住民ら36人が出席した。

会場には小さな祭壇が置かれ、対馬丸記念会の野原淳子さんから送られた沖縄のお菓子が供えられた。

主催者の青木忠さんが三庄空襲で亡くなった仲宗根家の5人をはじめ9人の子供への追悼の言葉を述べ、全員で黙祷を捧げた。

因島空襲

平谷祐宏尾道市長の追悼文を松山英夫因島総合支所長が代読。髙本訓司尾道市議会議長が、空襲犠牲者に対して追悼の言葉を贈った。

沖縄の対馬丸記念会の外間邦子理事の追悼メッセージが紹介された。

この日の行事への関心は高く、新聞2紙、テレビ3局が取材に訪れた。沖縄の2大紙「琉球新報」と「沖縄タイムス」が翌日記事を掲載した。

今後も引き続き調査活動と追悼の営みが続けられる。

挨拶とメッセージ

主催者の青木忠さん、平谷祐宏尾道市長(代読)、髙本訓司尾道市議会議長の挨拶、沖縄の対馬丸記念会外間邦子理事のメッセージの全文を掲載する。

青木忠

私たちは今、爆撃によって7人の方が亡くなった場所に立っています。ここが沖縄から避難してきた仲宗根さんご一家、お母さんと子供たち6人が亡くなった場所です。

今日は特に、この町の空襲で犠牲になった9人の子供たちにお悔やみの気持ちを述べたいと思います。実は生後10カ月の私もこの場で、一旦は死にましたが辛うじて生き返りました。そして、亡くなったあなたたちのためにも生きつづけてきました。

私は強く思います。子供は死ぬために生まれてくるのではありません。生きて生き抜くために生まれてくるのです。にもかかわらず、あなたがたの生命は無惨にも奪われたのです。きっと無念だったでしょうね。私も残念でたまりません。

あの瞬間から70年が経ちました。あなたたちと私たちのつながりは、今後いっそう強まることでしょう。

永遠に忘れません。あなたたちを死に追いやった不条理を調べあげ、解明し、解決していくことを強く誓います。

 

平谷祐宏尾道市長

本日ここに、因島・三庄空襲70周年犠牲者追悼の集いが執り行われるにあたり、因島・三庄空襲で亡くなられた全ての御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

また、追悼の集いを開催されるにあたり、ご尽力された関係者の皆様に心から敬意を表するものでございます。

今年で戦後70年を迎えようとしておりますが、今日私たちが平和な生活を享受できますのも、空襲などにより亡くなられた方々や祖国や家族のことを思い、命を捧げられた方々の犠牲の上に築かれたものであることを忘れてはなりません。

戦争を知らない世代が大半を占め、戦争を経験された世代が高齢化するにあって、過去を謙虚に振り返り、戦争の悲惨さを永く後世にまで語り継いでいくことが、私たちの責務であります。

平和で安心して生活できる社会は、人類共通の願いであり、皆様とともに亡くなられた方々の御霊安かれとお祈りし、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう渾身の努力を傾けてまいりたいと考えております。

結びに、因島・三庄空襲により亡くなられた方々の安らかなるご冥福と世界の恒久平和をお祈り申し上げましてご挨拶といたします。

 

髙本訓司尾道市議会議長

皆さん、おはようございます。また、暑い中大変ご苦労さまです。

尾道市議会議長の髙本訓司でございます。

本日ここに、因島・三庄地区空襲で犠牲になられた沖縄の一家をはじめとする因島・三庄空襲70周年・犠牲者追悼の集いが行なわれるにあたり、市議会を代表して一言ご挨拶を申し上げます。

さきの大戦におきましては、因島でも2度にわたり空襲を受け、日立造船因島工場や三庄町において甚大な被害があり、200人近い尊い命が失われたと言われております。

この三庄町七区において、昭和20年7月28日の空襲により、沖縄から疎開してきたであろう仲宗根さん一家6人がこの地で犠牲になったことや、また三庄町居住区における被害状況の実態は、今日まで明らかにされてきませんでした。

しかし、このことは、ご遺族やご家族にとりましては忘れられない悲しみの日であります。そうした戦禍にあわれた、ご一家並びに三庄町にお住まいのご遺族の方々に対しましては心から哀悼の意を表するものであります。

今年は、終戦後、因島・三庄空襲から70年の節目の年になります。

尾道市議会としても尊い命を犠牲にされた方々をしのび、核の撤廃と恒久平和の実現にまい進してまいる所存でございます。

終わりに、因島空襲70年・犠牲者追悼の集いに取り組んでこられた「せとうちタイムズ」の青木様をはじめ、地元有志の方々のご努力に対し、心から敬意を表しますとともに、本日、ご出席いただきました皆様方の御多幸を心より念じまして、挨拶とさせていただきます。

 

外間邦子対馬丸記念会理事

本日ここに因島追悼行事にあたり謹んで哀悼の意を申し上げます。

今年も又、70年前の夏、あの日のような、暑い夏が巡って参りました。

沖縄は6月が終戦の日、御霊に慰霊と不戦の誓いをたてる月でもあります。

戦後70年、戦後という表現は戦争の終わった年、平和になった年との印象があります。

しかし、70年前の昭和20年は日本全国が戦禍に見舞われた決して忘れてはならない悲惨な年でした。戦後70年ではなく、激戦の年から70年と位置付けています。

皆様のふるさと因島でも油脂焼夷弾による空襲で多数の犠牲者を出し瀬戸内の静かな因島で戦争の恐ろしさを体験なされておられます。

犠牲者の中に、沖縄県出身の仲宗根一家が含まれており、その経緯を聞きましてとても痛ましく思いました。仲宗根さん一家にとりましては因島は、戦争の被害のない安心できる島だと信じ大阪から疎開してきたと思います。信じていた疎開先でいのちを奪われた事、死んでも死にきれなかった無念の死を遂げた事とても残念です。

この度追悼の行事で仲宗根さん一家共々慰霊して下さる事に心より感謝申し上げます。

沖縄と因島とのご縁を仲宗根さん一家の魂たちが結んでくれたものと思っております。

昨今の日本は戦前の軍靴の足音が聞こえてくるような不吉な情勢になっています。

戦争という20世紀の負の遺産を歴史の教訓として平和を希求する国民として1人びとりが戦争をしない国を守りぬく事が亡くなった方々への何よりの供養だと思います。

御霊のとこ末に安らかならんことを願い、追悼の言葉と致します。

 

故郷への手紙「帰省」

青木めぐみ

電車で十四時間。
こんなにも因島を恋しく思うようになるなんて。

例年より少し早い時期の休暇。時間をめいっぱいかける電車の旅が、私の定番。
時間と景色の流れとともに、少しずつ私の中の空気を入れ替える。
離れている距離を感じながら帰る故郷は、さらに特別な存在になった。

今回の帰省には理由があった。
因島空襲から七十年が経過した。
父が生きて七十年が経つ。

「慰霊行事を家族揃ってやりたい」
父から電話があった。
「…帰らなきゃ」
使命感のようなものを感じた。

弟は、仕事を終えてすぐ新幹線で駆けつけた。私は、予定を変更し休暇を取得した。
こうして、家族四人が揃う初めての慰霊行事に臨んだ。

場所は、七区神田。
祖父の家があった場所。幼少期遊び回った場所。そして、0歳の父が生き埋めになり助けられた場所だ。
私たち家族が今生きていることが、奇跡に近いことだと感じた。
父が助からなかったら、母とは出会わなかった。弟も私も生まれてはいなかっただろう。

空襲を知らない世代にとっては、風化しつつある歴史の一部に過ぎないかもしれない。
しかし、私にとっては歴史にする訳にはいかない確かな事実だと自覚した。私のルーツでもあるからだ。
今はまだ知る立場。
今後伝える立場になりたいと思う。
それが、私の役目だと感じている。

今回の帰省、故郷としての因島が私の一部にあることを改めて実感した六日間だった。

青木めぐみ

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