「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【18】第四章 宿命なのか

長姉の話によれば祖父は、私の誕生をとても喜んだという。膝のうえに私をのせていつもニコニコしていた。祖父の私に与えた影響は大きい。

祖父は明治12年、福島県岩瀬郡鏡石村の柳沼久吉・シケの四男として生まれた。船に乗り機関長になった。明治43年に松本徳一の二女ヒサノと結婚。婿養子である。清子とトシエの二女をもうける。昭和29年妻ヒサノと死別。昭和40年死亡。享年85歳。私は大学2年であった。

空襲の際、生埋めになった私達の救助を要請したのは祖父である。必死であったであろう。妻ヒサノ、長女清子、孫忠が瓦礫の下でうめいているのである。同時にこの空襲を最も憎んだのも祖父だったに違いない。

私は空襲の調査を開始してまもなく、生まれて初めて心底から込み上げる憎悪の感情を抑えることができなかった。この心のたぎりは祖父伝播のものだったかも知れない。

祖父は小学生の私に毛唐(けとう)という言葉を頻繁に使った。西欧人に対する蔑称である。露助(ろすけ)というロシヤ人への蔑称も同様であった。

軍国主義教育の担い手から戦後民主主義教育の旗手に変化した父は、たとえ使いたくとも、こうした蔑称を使用するはずはない。しかし祖父は何らはばかることはなかったのである。

中学のころであろうか、祖父は私を畑仕事に連れて行ってはGHQによる戦後土地改革を罵った。「正直者は馬鹿を見た」と決まって言葉を荒げるのである。私はいささか違和感を感じつつも、「そういうものか」と納得させられた。

これらは、もしかしたら祖父の孫への思想教育だったのかもしれない。

まもなく祖父と私は「反米」という点で一致をみるのである。力道山のプロレスである。力道山は敗戦国民の英雄であった。米国人レスラーを空手チョップで次々となぎ倒す勇姿に熱く燃えた。

毎週金曜日の夜8時から九時、プロレス中継の時間帯、テレビは祖父と私によって独占された。ふたりは画面に釘付けになった。

昨秋、解体直前の実家のなかで懐かしい雑誌を発見した。ベースボールマガジン社が一九六四年に発行した「プロレス&ボクシング」である。これは、大学生になった私が、祖父が淋しいだろうと思って送ったものである。

プロレス雑誌が届くたびに祖父はとても喜び、震える字でしたためた葉書を私のもとによこした。死の直前だったのである。

そのころの祖父宛の私の葉書も出てきた。

「広島へきてから一週間すぎましたが
大分慣れました。この前の金曜日に
寮のテレビでプロレスを見ようと
思いましたが同室の人と映画を
見にいきましたので見られませんでした。
二十一日には広島でプロレスがあるそうですが
入場料が高いので行きません。もう少ししたら
家に帰って本とプレイヤーをもってこようと
思います。ではサヨウナラ」

私のプロレス熱は大学生になってもつづいている。そしてプロレスを通じたふたりの絆はいっそう固いものになっていたようだ。いまでも格闘技中継に胸をときめかす熱さは消えていない。

(青木忠)

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