「始まりと終りに」故仲宗根一家に捧ぐ【15】第三章 呼び戻されて

整理した「日記」を清子の妹の伯母にも送った。彼女は松本家にこだわっており、父が他界した途端に「あんた青木家から松本家にもどっておいで」と言うほどだった。

私は意を決して質した。

「母さんが結核にかかったのは空襲のことが関係しているのかね。爆弾にやられて身体が弱っていたからね」

私は前から空襲と結核の因果関係を推測していた。

「そうだと思うよ」

伯母の反応は明快だった。そして付け加えた。

「日記を読んでよう分ったじゃろう。あんたの母さんは本当に優しい人だったんよ」

「うん、そう思う」

すかさず私は同意した。

やはりそうだったのか…。元々強い身体ではなかったという。その母を爆撃が襲い、わが子を守るために母は崩れた家屋の重みを全身で受け止めたのだ。外傷だけではなく身体の芯から回復しがたい打撃を被ったに違いない。

母にとって戦争は未だ終わっていなかったのだ。結核としてそれは継続していたのである。だが「日記」は空襲のことに一言も触れていなかった。

それはまるで悪夢で、一刻も早く忘れ去りたかったのかも知れない。いや、それだけではない。あまりにも辛い闘病の日々に過去をふり返ったり、あるいは未来を夢見るゆとりなど、きっとなかったのだ。一日一日のことで精一杯だったのであろう。

私は母の日記に自分の名を真っ先に探した。最大の関心は正直なところ、母が私のことをどれだけ気に留めてくれているかにしかなかったのである。

「あった」

私の胸はときめいた。日記をつけだして二日目である。私を短歌にしている。

祖父達と 育つ忠に会ひたくも

ジットと忍びぬ 病ひある身は

健やに 育つと聞きて 思ひなし

病ひある身は 世話も出来ねば

そして、それにつづけて次のように書き加えている。

「下手な歌だけど 誰に見せるのでもなし 恥ずかしくもない こころの足跡を残し度い思ひのみ」

さらに六月二九日にも歌っている。

學校の 子らのざわめく 聲きこゆ

馳せる思ひは ふる里の 吾子に

母らが住む校長住宅は小学校の直ぐ近くにあった。そこに学ぶ児童たちのざわめきを聞くたびに母は、隣町の私に想いを馳せてくれたのだ。

私はこの三首の歌に母の想いをすべて感じ取った気がした。そして安堵した。決して好んで私を祖父母の下に残していったのではなかったのだ。

それ以後もしばしば私についての記述が出てくる。当時、電話がついていたわけではない。祖父母との間で手紙のやりとりもなかったようだ。もっぱら人伝えに私の話は母にもたらされた。

祖父が峠越えで食糧を持参して母を見舞った。祖父はその度に私の様子を話して聞かせたはずだ。祖父母のところに遊びや手伝いで帰った姉や兄も同様だった。

「日記」にそれぞれ一回ずつ、私が母たちの住む家を泊りがけで訪ねた場面と、母が私の住む隣町の実家に帰省した場面が綴られている。

私はすっかり母に甘えている。同時にその度にやってくる悲しい別離に健気に耐えている。

(青木忠)

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