ダムの水を待つ重井東部ほ場【上】計画から17年 奥山ダム工事完成 今年度から農地への給配水管埋設着工

 造船を碁幹産業として栄枯盛衰を繰り返す尾道市因島の島しょ部。その一方で気候温暖の恵みを受けてそ菜やフルーツの生産も盛んだが雨量が少ないのが悩みのタネ。そこで北部地域の農家が中心になって県営土地改良事業と畑地帯総合土地改良事業(かんがい排水)の申請を県に提出したのが1991年3月だった。


尾道市因島総合支所に設置されたモニターでダムの湛水試験を監視しているが現在の貯水量は約40%。


 計画概要は水源施設を有効利用、生産性の向上をはかって生産基盤の整備を推進、多様化する食糧需給に即した農産物の選択的拡大を狙いとしたものだった。土地改良事業とかんがい排水は切り離せない事業。
 因島の中央に当たる標高233.8メートルの奥山中腹に古くからある溜め池「奥山大池」をコンクリートダムに改修して貯水量をふやし、ダムからパイプラインを埋設して中庄と重井地区の107ヘクタールの畑に送水、天候に関係なく水が使え高品質、高生産の農業経営に夢をかけた。さらに山肌を開いて開墾した重井地区の段々畑の東部ほ場整備地帯までパイプラインを延長、配管埋設工事と農道建設にあわせ耕作地の傾斜を穏やかにした大区画化を図る畑地帯総合的整備事業を官民一体となって進めてきた。
 ほ場は2004年に完成、生産組合を結成してスタートしたが肝心のダム工事が完工したのは今春3月。これから水量貯水状況を観察しながら送水管埋設工事にかかる。総事業費74億7千万円を投じた奥山ダム建設経過と給水を待つ農家の現状を取材した。
時代に適応する農家
 瀬戸内海のほぼ中央に位置する因島は嶺線によって因南と因北に分けられる。南は造船関連企業を軸に商工業市街地を形成。北部は竜王山を頂点として大小の嶺線が分布、西北部の重井地区は急傾斜地の段々畑も多く、かつては5月になれば除虫菊の花が白いじゅうたんを敷きつめたように埋めつくした。麦畑との間作は戦時中の食糧増産にも貢献、サツマイモの産地でもあった。
 だが、時代の変遷とともに化学薬品の殺虫剤が主流となり除虫菊畑は葉タバコ生産や柑橘園に変わった。平地はスイカ、キャベツ、キヌサヤエンドウなどの畑作地帯となった。
 なかでもキヌサヤエンドウは天皇陛下に献上したこともあって日本一の折り紙付き。量産では徳島県にかなわないが品質の上では他の産地の2倍強の価格で取り引きされている。近年ワケギの生産も全国的に注目され、瀬戸内海の温暖な気候にそ菜やフルーツなんでも生産できる恵まれた立地条件にある。土質は花崗岩で、土壌は黄褐系の乾色森林土壌。
 東部はリアス式海岸で平坦地が少ないが、江戸時代に中庄地区の入江を埋め立てた大規模の干拓地の油屋新開と仁井屋新開が戦後生まれた。
 年間平均気温は14.7度。年間降水量1165ミリ。県営畑地帯総合土地改良事業のうち、かんがい排水事業対策の遅れから渇水季には溜め池から給水、軽トラックに農業用水を満載して携帯ポンプによるホースで土地をうるおす地域もある。
水源確保の決断
 因島の基幹産業である造船関連業界は60 – 70年代にオイルショックに続く全国的な構造不況の波を受け「島が沈む」と表現されたほどの打撃を受けた。離職者は島を離れ、人口が激減した。その中には兼業農家の家族もいた。
 県内有数の野菜産地としての因島。県内の食料の安定供給という観点から1991年安定水源を確保する農業用水確保のダム建設の準備に国県市で取りかかった。

農家の生産基盤整備が進んだ重井東部ほ場だが後継者不足に頭が痛い。
ダム本体完成
 ダムという大構造物は島の人にとって想像もつかない建造物である。地質調査から設計まで4年もかかった。96年に用地買収に続き取り付け道路建設に着工。2004年にダム工事着工。今年3月堤体工事を完了。発注者は広島県尾三地域事務所重井・三河農業水利改良事務所(尾道市古浜町26 – 12)。施工は前田・銭高・青木特定建設工事共同企業体。総事業費は当初33億円の予定だったが計画変更などもあって74億7千万円。このうち国50%、県30%、地元尾道市(旧因島市含む)は20%を分担した。

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