ことばの輝き最優秀賞作品「埋もれた史実因島空襲」【1】因島高校三年生研究班

 因島高校生課題研究―埋もれた史実「因島空襲」が、県教委の平成19年度「ことばの輝き」優秀作品コンクールの課題研究・卒業論文部門で、最優秀賞に輝いた。同校の了解をえて、その全文を本紙に掲載する。


 われらが郷土因島は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月19日と7月28日、2度に渡る米軍機による空襲を受けている。しかし、後述にあるように因島空襲に関わる公的な文書記述・資料が極めて少なく、またその内容も乏しく、因島空襲の様子や被災状況については全くと言っていいほど明らかにされていない。
 郷土の歴史を編纂した「因島市史」ですら、同様である。これに関して、因島市史編集委員会専門委員の青木茂氏は「市史のあとがき」の中で次のように説明している。
 「近世・近代・現代に、もの足りなさのあることを、自分でも感じる。惜しいけれども、近代資料が少ない。敗戦のさい、どこの自治体でも、多くの書類を整理した。マッカーサーの進駐に気をつかったからである。さらに引きつづいて、合併である」と。

 敗戦時の状況下、日本軍および戦争に関わる記録・資料が廃棄処分され、因島空襲の記述が困難であったことはやむを得ないのかもしれない。しかし、それにしても、郷土の「重大事件」である因島空襲が郷土の歴史に克明に刻まれていないなんて…。
 いずれにせよ因島空襲は、まさに「埋もれた史実」なのである。事実、私たち研究班のほとんどの者が因島空襲の史実の存在すら知らなかった。私たちの周りの人たち(友人・知人)においてもおそらく同じであろう。
 そこで、私たち研究班は「埋もれた史実、因島空襲」の真相究明に向けて調査活動を行い、郷土の歴史を再発見・再認識するとともに、私たちの祖父母たちが当時、どう生きてきたのか、どのような思いをもって過ごしてきたのかを知り、また推し量り、私たちの「足元」である地域から改めて「戦争と平和」について考えていきたいと思う。
資料

  1.  『因島市史』(因島市、昭和43年)に見る因島空襲の記述=第二次大戦中米軍の爆撃にあい、多くの施設を破壊されたが、鋭意回復、整備、今日に至ったものである。(第四編 経済 日立造船因島工場より抜粋)
  2.  『広島県戦災史』(広島県、昭和63年)に見る因島空襲の記述=【昭和20年3月19日の空襲】=当日朝、この空襲のまきぞえをうけて、日立造船因島工場にもグラマンが飛来し、修繕を終えて出航しつつあった帝立丸が機銃掃射をうけ、工員一人死亡、技師一人が右腕を失うなどの被害があったという(日立造船関係者談)。
    【昭和20年7月28日の空襲】=28日、最後の本格的な空襲が、呉軍港中心におこなわれた。県警察部の調査によれば、この日午前6時10分ころから、夕刻4時25分ころにかけて、「県下沿岸部主トシテ呉市呉軍港安芸郡江田島村御調郡土生町艦船並ニ軍施設及重要工場ニ対シ銃爆撃」とあり(『広島県警察百年史』下巻)、この空爆に加わった米軍機は、「艦載機主トシテ小型機延約950機及大型B29B延110機」と記録されている(『広島県警察百年史』下巻)。
     なお、この空襲のさい、前述の3月19日のそれにつづいて、因島日立造船所にも米機が来襲している。その一号岸壁に係留されていた陸軍の日寅丸(ヒットラーをもじった命名という)が弾薬庫に被爆して転覆し、他に曳船二隻も沈没していたという(日立造船関係者談)。なお、社史には「工場の施設に損害も受けたが、ほとんど操業に影響はなかった」と記されている(『日立造船株式会社75年史』)。(II.広島県の戦災 二.呉空襲より抜粋)

  3.  『土生町警防團日誌』昭和20年3月19日(月)曇り。9時40分カラ11時頃マデ間ヲオイテ敵機来襲。空カラ機銃掃射並工場地区ヘ小型爆弾少数投弾ス。
    昭和20年7月28日(土)晴れ。本日午前11時45分ヨリ約7分間ニ亘リ因島工場爆撃ヲ受ケ相当損害アリ
  4.  『第2次世界大戦におけるアメリカ海軍の公式年表』3月19日(月曜日)日本の商業貨物船「帝立丸」は、北緯34度16分、東経13度03分、航空機によって損害を受けた。
     7月28日(土曜日)第3艦隊(アドミラル・ウィリアムF・ハルシー、Jr.)のTF28から航空機が、瀬戸内海地域、名古屋と九州北部の間、主に呉海軍基地に打撃を与える。TF28機は…因島造船所の海軍予備「光隆丸」を沈める。TF28機もまた…因島のドックにいる商業貨物船「大玄丸」に損害を与える。日本軍貨物船「日寅丸」は因島造船所で海軍の死傷者を出す。

 資料より次のように言える。

  1.  日本とアメリカの資料を照合すると、因島空襲の期日は、1回目が1945(昭和20)年3月19日(月)で、2回目が同年7月28日(土)であると断言できる。
  2.  日米両資料において、3月の空襲では「帝立丸」という船が、7月の空襲では「日寅丸」が損害を受けていることで一致している。また、『広島県戦災史』の7月28日記述にある沈没船「曳船二隻」とは、米軍資料からすると「光隆丸」と「大玄丸」と考えられる。
  3.  証言によると、7月の空襲では日立造船因島工場(土生地区)に加え、三庄地区の民家も被爆し、死傷者を出しているということだが、日米資料には三庄地区の損害に関する記載がまったくない。

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