空襲の子【60】因島空襲と青春群像-巻幡家の昭和-公職追放を越え 巻幡敏夫に追放処分(下)

 巻幡家に連合軍総司令部(GHQ)の取調官が乗り込んできた。巻幡が忠実に公職追放に服しているかの調査であったのであろう。この場合の公職とは単に官職だけではなく、占領軍が指定した、影響力のある政党・企業・団体・報道機関などの重要な役職をさしていた。


 巻幡は土生郵便局長をはじめ6つの職業と役職を失った。それも即刻退職と再就任の禁止であった。退職金、恩給、その他の諸手当支給の権利も剥奪された。実質的に社会から抹殺されることを意味していた。
 違反者への罰則は決して軽くなかった。調査票に虚偽の記載や記載漏れがあったり、追放該当者が政治活動した場合など、「3年以下の懲役または1万5000円以下(当時)の罰金を課す」とされた。
 公職追放になった者は約21万人と言われているが、それを恐れて事前に退職した者や家族を含めるとおよそ100万人以上もの者に直接の影響を与えた。当時、追放は永久につづくものと考えられ、次の処分は自分かと、日本人全体が恐怖に怯えていたという。
 二女恵美子はその時のことが、目に焼きついていると語る。軍服の取調官2・3人と通訳の一橋大の学生が屋敷に入ってきた。通訳の話によれば東京からやってきたという。軍靴をはいた彼らは土足で居間にあがってきた。妻や娘が思わずたしなめようとしたが、父敏夫は「この家はどうなってもよい、そのままにさせておけ」と、それをさえぎった。大学生の通訳は帰りぎわになって、そのことを詫びたという。
 さすが二度目の時には軍靴を脱ぎ上履きにはきかえて、取調べを行った。通訳も語学に通じている妻ミツノがあたった。恵美子は、取調べでどのようなことが話されたかは父母から一切知らされていない。しかし父はいつもとなんら変わらない印象を娘に残した。決して媚びたりすることのない、その威厳に満ちた優しさはいつも通りだった。
 ほとんどの者は体験がないわけだが、公職追放の取調べの対象になるということは大変なことであった。実質上の軟禁状態におかれるのである。あらかじめ取り調べ日が通知されるわけではない。いつGHQがやってくるかもしれない。旅行はおろか、外出もままならない。
 取調べは自宅だけではなく、東京のGHQ本部にも呼びつけられた。終戦直後のことであるから、列車による往復だけでも容易ではなかった。
極東国際軍事裁判ラダ・ビノード・パール判事(インド)
 ところで父は娘に、上京したときに極東国際軍事裁判のラダ・ビノード・パール判事(インド)=写真=に会ったことを語って聞かせた。同裁判11人の判事のうちただひとり、被告人全員の無罪を主張した人物である。彼は、「裁判の方向性があらかじめ決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」と、裁判そのものを批判した。
 巻幡は、A級戦犯の裁判の成り行きに関心をもち、その同じ方向に自らの行き末を見たのではないだろうか。家人に「自分はどうなってもよい」と語りつづけていたという。こうして最後の覚悟を固め、毅然として取調べに立ち向かった。

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