尾道・因島合併記念事業の一つ 本因坊秀策囲碁記念館着工 来春3月完工 9月オープン

幕末の天才棋士・本因坊秀策

広島県内唯一の市と市が合併した尾道と因島。地域経済文化を融合、継承することは難しいとされてきた。なかでも「囲碁文化」という地味な分野の話となればなおさらである。

旧因島市が基幹産業の造船不況でドン底に落ち込んでいた1997年・同市が輩出した幕末の天才棋士本因坊秀策(幼名桒原虎次郎・1829―62年)にあやかって、囲碁でまちおこしを―と「市技」に制定。子どもから女性を含むアマ・プロの囲碁大会を開催、全国への発信に取り組んだ。

こうした流れの中で後世碁聖と仰がれる本因坊秀策生家の復元と遺品を展示する囲碁記念館(仮称)の二つを備える建設を新生尾道市が引き継ぎ7月7日に秀策生誕の地に隣接する尾道市因島外浦町宮の谷で起工式を行い着工。来春3月末完工、9月オープンを目指し展示品などの準備を進める。

「本因坊秀策記念館」完成予定図
平成の合併協議で引き継がれた「囲碁のまちづくり」のシンボル「本因坊秀策記念館」完成予定図


取り壊されたワラ葺き屋根の秀策生家

悲願半世紀の夢花開く

「市技」という耳慣れない言葉が旧因島市で誕生。そして新生尾道市に引き継がれた。国技の相撲に習い全国でも珍しい囲碁をテーマにした発案である。因島といえば村上水軍の流れをくむ造船の島で知られている。どうしたことか、幕末に天才棋士本因坊秀策を輩出し、昭和の戦後囲碁界ではアマ本因坊村上文祥(因島高校―早稲田大学―荏原製作所副社長=故人)が送り出された。

こうした背景もあって因島の囲碁愛好者は約3千人と推定される。住民の10人に1人が囲碁をたしなみ、そのうちの約300人が有段者という囲碁のまちである。当然のことながら秀策先生の遺徳顕彰の地に生家の復元を願う声があがるのは当然であった。その願いが合併を機に実現したというのも奇縁である。

ところで、なぜ、本因坊秀策が近年になって世間一般にまで脚光を浴び、まちおこしにあやかれるようになったのだろうか。

殿堂入りとヒカルの碁

秀策流という先番必勝法一・三・五の布石を確立、プロ棋士の登竜門ともいわれる名局の数々は初心者でも学ぶことが多い。日本棋院創立八十周年記念事業として04年11月15日オープンした囲碁殿堂資料館に第一回の栄えある殿堂入りを果した。

一般的には殿堂入りを前にして、少年ジャンプ「ヒカルの碁」が囲碁に縁が薄かった子どもやご婦人層に火をつけた。この漫画雑誌は累計で1800万部を突破、これが起爆剤となって全国から保護者に連れられた少年少女が因島の秀策生誕の地を訪れた。

25年前、旧因島市制30周年記念事業のイベントとして行なわれた「名人戦」=大竹名人VS趙治勲、解説朝日新聞社竜騎兵、聞き手アマ本因坊村上文祥(シーサイドホテル)=のときはタクシーの運転手が秀策生誕の地を知らなかったというが、現在は認識度が高まっている。

NHKも昨年5月にBS2で(約2時間)「初心者にもわかる名勝負」というサブタイトルで「耳赤の一手」を放映。今年3月には教育テレビ、5月は総合で再放送。7月5日は「その時歴史は動いた」で天才・神童と騒がれた秀策が家元で受けた教育にスポットをあて、幕末の動乱期、家元が文化を担う時代から大衆文化に姿を変えていく経緯に迫った。

(村上幹郎)

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