空襲の子【47】因島空襲と青春群像-巻幡家の昭和-公職追放を越えて 戦犯と公職追放

 戦犯(戦争犯罪人)と公職追放が混同されている傾向がみられる。確かに関係は強いが、両者は全く異なるものである。「戦後史大辞典」(三省堂)をよりどころに戦犯について見てみよう。戦犯にはA級戦犯とBC級戦犯がある。


A級戦犯 太平洋戦争における敗戦国日本の指導者の戦争犯罪を裁くために連合国は極東国際軍事裁判をひらいた。その裁判で「平和に対する罪」で起訴された28人の被告人をA級戦犯と呼ぶ。極東国際軍事裁判所条例第五条のa項が「平和に対する罪」であることで、この名称がついた。
 連合国軍による戦争犯罪人容疑者の逮捕は、1945年(昭和20年)9月11日に始まった。100人以上の容疑者が、同12月6日までに出頭を命じられた。しかし、近衛文麿元首相らのように出頭を拒否して自殺するものもいた。
 被告人のうち、発狂、病死した以外の25人全員に有罪判決が下った。絞首刑は次の7人である。土肥原賢二(元奉天特務機関長)、広田弘毅(元首相・外相)、板垣征四郎(元陸相)、木村兵太郎(元陸軍次官)、松井石根(元上海派遣軍司令官・支那派遣軍司令官)、武藤章(元陸軍省軍務局長)、東条英機(元首相・陸相・内相・軍需相・陸軍参謀総長)。絞首刑は1948年12月23日に執行された。
BC級戦犯 連合国は、第二次世界大戦中、特定の地域で「通例の戦争犯罪」を行なった者に対して、各地で軍事裁判を行なった。その被告人をBC級戦犯と呼ぶ。「通例の戦争犯罪」とは、毒物兵器の使用禁止など陸戦の法規慣例に関する条約、俘虜の待遇に関するジュネーブ条約などへの違反をさしている。
 日本人のBC級戦犯に対する裁判は、東アジア各地に散らばったアメリカ(5)、イギリス(11)、オランダ(12)、フランス(1)、オーストラリア(9)、中国国民政府(10)、フィリピン(1)の7カ国、49の法廷で行なわれた。
 総件数は2244件、被告人は5700人といわれている。死刑が984人、無期刑475人、有期刑2944人であった。全有罪者数の36%、死刑者数の30%は憲兵であった。また戦犯のなかには、俘虜収容所関係者の比率も高い。
 因島も向島町も無関係ではなかった。笹本妙子著「連合軍捕虜の墓碑銘」(草の根出版会)の記述を見てみよう。因島三庄町に1942年11月27日、広島俘虜収容所第五分所が開設された。イギリス兵約200人が収容され、近くの日立造船因島工場で強制労働に就いた。13人が病死した。向島町にも因島と同じ日に収容所が開設され、約200人の英米兵らが収容された。日立造船向島工場で強制労働に就いた。23人が病死した。
 終戦後、因島収容所の所長、捕虜係通訳、軍属の3人が戦犯に問われた。それぞれ重労働2年、同3年、同6カ月。向島では、収容所長と軍曹の2人が戦犯となった。それぞれ重労働12年、15年の判決を受けた。

極東国際軍事裁判は東京・市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂で行なわれた。

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