空襲の子【41】因島空襲と青春群像 62年目の慰霊祭 九死に一生得た巻幡展男さん(下)

 姉の恵美子さんからお電話をいただいたことに勇気づけられて弟の巻幡展男さんに直接お会いしたいと思った。ご自宅にお電話したところ、「関西テレビにおいでよ」ということになった。「会社の受付でどのように言えばよろしいですか」とトンチンカンな質問をしてしまい、「巻幡と言えばいいんだ」と笑われてしまった。3月5日、関西テレビ放送の名誉顧問室で会見することができた。


 まず因島空襲犠牲者慰霊祭への出席をお願いした。昨年放映されたテレビ映像も見ていただいた。健康が許せば万難を排して因島に行こうとスケジュール帖に書き込まれた。
 その会話のなかで、「因島もひどくやられたのか」と質問をうけた。無理もない話であると思った。中学から広島市での生活、そして被爆。回復してから山口高商に進学、さらに大阪大学に進み、卒業後に設立間もない関西テレビ放送に入社。それ以来、第一線での活躍。島内のなかでもほとんど話題にならなかった空襲のことが耳に届こうはずがない。
 私にとっての最大の関心事は、巻幡氏自身の被爆とその後であった。8月6日、学徒動員先での被爆。翌日はなにをしていたか良く覚えていない、おそらく全滅した一年生たちの亡骸を葬っていたのであろうと、語った。ともかくも因島に帰ろうと思った。徒歩で呉市方面に向かい、やっとのことで電車に乗り、尾道駅に着いた。
 「駅で、福山城の天守閣が燃えるのを見た覚えがあるんだよなあ」とポツリ。8月8日の福山空襲のことである。また因島からやってきた部隊に出会った。「おいどこへ行くんか」と問うたら、「広島に救援に行くんよ」と答えたという。尾道に一泊し、因島に向かった。17歳の少年は、ヒロシマを体験し、廃墟と化した呉を通りぬけ、空襲された福山を目撃し、そして米空軍に蹂躙された因島に帰ってきた。
 思わずお尋ねした。「巻幡さんの眼底に焼きついたその原風景を書かせてもらえませんか」。「いいよ」と即座に歯切れの良い返事がもどってきた。私は描く対象を、因島を起点に広島県全体に広げたかった。広島市にはわずか2年9カ月しかいなかった。しかし、そこにはわが青春の大学キャンパスがあった。ヒロシマとの触れあいも体験した。それが人生を決めた。
 巻幡さんは3冊の本をすすめてくれた。確かに一番目は、広島一中時代の同級生である井上義國氏が著した、「『あの日』前後―広島原爆記」であった。2冊目は井伏鱒二著の「黒い雨」である。そして3冊目はその中心的な資料になった「重松日記」だった。
 帰りの新幹線の中でお借りした井上氏の著作から読み始めた。帰ってすぐに全文をコピーして改めて読んだ。巻幡氏は、本の挿絵は井上氏自身によるもので、その色彩が大切なんだ、原爆は、きのこ雲はその色の通りなんだと、教えてくれた。だから、その色を読みたくて、その部分をすべてカラーコピーにした。

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