空襲の子【39】因島空襲と青春群像 62年目の慰霊祭 助言者からの電話

 連載をつづけていくうえで、専門的な知識をもった方からの助言ほどありがたいものはない。船舶についても何回か、助言をいただいた。前々号で「伊33号潜水艦の悲劇」についてふれたところ、その方からお電話をいただいた。いつもわたしはすぐに駆けつけるのだ。お話の内容は、「伊33号潜」についての吉村昭さんの著作があるので、見にきませんか、というものだった。


 ご自宅のリビングの机には、二冊の本があった。昭和48年に発行された「総員起シ」(文芸春秋)と平成7年の「戦史の証言者」(文春文庫)である。わたしは5年前本紙で、「伊33号潜水艦の悲劇と三庄」という短期連載を行なったことがある。それらの著作を読めば、そのとき解けなかった疑問が氷解するのではないかと思った。
 吉村氏はわずか2人の生存者である小西愛明氏と岡田賢一氏、終戦後に同潜水艦を浮揚させた技師である又場常夫氏、浮揚した艦の内部を写真撮影した新聞記者の白石鬼太郎氏をていねいに取材している。
 104人の乗組員を乗せたまま海底に沈み、ついに万策尽きたとき、艦長和田睦雄少佐は司令塔にいた10人の部下に対して、「脱出せよ、自分は残る」と命令した。このままでは全滅しかない。脱出して万が一助かった場合、事故報告をせよというものだった。しかし救助されたのは、小西氏と岡田氏のわずか2人だけであった。
 そのお二人が後に、戦友の慰霊祭を行なうことになる。岡田氏は吉村氏のインタビューに答えて次のように語っている。「戦史の証言者」からその要旨を引用する。

 ―私は、終戦当時、遺族の家に行けるところはほとんどいきました。死んだ戦友は一家の柱であった人たちですから、遺族の方も大変ですよ。二十三回忌のとき、小西さんと私の二人で現地において、慰霊祭をやりました。遺族の方々が少しでもお慰めできればと思いましてね。遺族の方々が全国から五十名ほど、そのほかに百名ばかりの人々が集まって下さいました。小西さんの働きかけで、自衛艦も二隻出てくれて盛大に催すことができました。

 伊33潜は昭和28年秋、因島の日立造船三庄ドックで解体され最後のときを迎えた。それをすぐ上の丘から見守っていた森神社の保存会の人たちが、慰霊の営みを始めたのは昭和年のことである。その趣旨は、「お国のために従軍した人たちなのに、このままではあまりにもいたましい」という素朴ではあるが、確固としたものであった。
 林貴子会長ら遺族会が平成7年、森神社を訪問=写真=。平成12年には保存会に感謝状を贈った。

―貴会におかれましては先の大戦末期旧海軍イ号第三十三潜水艦戦勢挽回を期し伊予灘において急速潜航訓練中昭和十九年六月十三日遭難沈没その殉職者の慰霊祭を永年に亘り執り行って戴いております。
 顧みれば昭和二十八年同艦引き揚げ後御地日立造船三庄ドックに於いて解体された御縁により篤志の方による御発起を賜り今日に至るまで貴会の実に熱盛溢るる温かき御厚志に浴しております。既に太平洋戦争の記憶は希薄になりつつある今日貴会の皆様方の真摯なお心に触れ、弊会遺族一同衷心より感謝申し上げる次第でございます。

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