開館10周年記念特別展「平成の平山郁夫」27日まで 作品に浮かぶ平和への祈り

日本美術院理事長として日本画壇をリードする平山郁夫画伯(76)。最も愛しておられる生まれ故郷、瀬戸田町に「平山郁夫美術館」がオープンして10年目になる。これを記念して日本の美シリーズを中心に、アンコールワット遺跡やアフガニスタン、北朝鮮の高句麗など世界各地の文化遺跡の保護を訴えた作品40数点を展示した特別展が27日まで開かれている。今年で満77歳の喜寿を迎える平山郁夫の平成年間の画業を振り返り、近作を回顧するまたとない機会に出くわしお話を聞けた。

(村上幹郎)


―しまなみ海道の観光文化芸術の発信基地の町づくりを目指していた古里、生口島の瀬戸田町からの「平山郁夫美術館」建設の要請を固辞されていたと聞いていましたが。

「最初の計画が持ち上がったころは、私が美術館をつくっていただくような年齢でもないし、まだまだしなければいけない仕事がたくさんありました。しかし、町長さんや町民の皆さんから熱心なお勧めがあり小さな生口島・瀬戸田町から私のような画家が誕生したかなど、将来の子供たちの夢をはぐくむことができるのでしたら、と協力することを決めました」

―画伯にとって故郷、瀬戸田町はどんなところですか。

「歴史の古い町で、美しい瀬戸内海の真ん中に位置します。私が成長した幼年期は、日本が戦時下で今のような自由や遊ぶ要素は皆無。しかし、貧しく質素でも自然の美しさと人々の人情は豊かなところでした。そんな故郷から芸術家として世に出られた活力は何であるかを考えると感慨深いものがあります。昭和18年4月に瀬戸田小から広島市の修道中学(旧制)に入学。15歳で勤労動員中に被爆、九死に一生を得たものの原爆の放射能の影響を受け実家での静養で健康回復。この間、生口島での美しい自然が画家としての感性を育ててくれたのだと思います。」

―幼少のころ蝋石(ろうせき)で道路に絵を描いていたという話を聞いていますが。

「通り掛かりのおじいちゃんやおばあちゃんがほめてくれるから得意になる。やがて少年期になると故郷の海、小高い丘からの季節の変化にうつった色彩が与えたものは画業に大きく影響したようです。」

―三次の奥田玄宋さんは山岳の燃える紅葉、平山さんは空と海の群青という一一般の評価ですが

「幼年期に見た風景は生涯を支配するといわれますが、青は色々と変化、奥深いものがあります。そう。日本海側出身の作家は、青に独特の重厚さがあったりします。」

―平山先生の足跡にすごいパワーを感じます。

「10代で天国と地獄を見ました。戦後の日本画の評価が悪くなり、そんなはずはないと奈良の仏教美術にふれ、被爆の後遺症と闘いながら命懸けで「仏教伝来」を描き、平和を願い古里の光景を描くことからシルクロードヘの転機をつかみました。そして今助けないと永遠に失われる遺産は世界にたくさんあることを知り「文化財赤十字」を考え、モノだけではなくそれを保護する人間を支援する活動をユネスコを通じて呼びかけています。」

―アフガニスタンでバーミアンの石仏が爆薬で破壊されました。
平山郁夫氏

「現地ではアフガンの人たちが経済制裁で追いつめられたあげく、人が死んでも大仏さんを守ればいいのか―という訴えだったと思います。だから石仏は修復しないで”負の遺産”として残すべきで、傷ついた兵士を敵も味方もなく救助する”赤十字”の精神を文化財保護にも向ける必要があります。」

―平山郁夫美術館はこの10年間で240万人が来館しました。子どもたちや日本画専攻がある広島市立大や尾道大の若い才能が育っていることも注目されています。

「今は中央一極集中が目立ちますが、地方でこそ個性が発揮できるという自覚を持って努力すれば必ず大成します。私の歩みを見ていただきながら悔いのない生き方を発見してほしいと願っている」

―最後に、島の美術館と観光効果について

「鎌倉市の自宅からアトリエまで約30メートルほどの距離があります。その間で観光客の方から、先日、瀬戸内海の生口島・瀬戸田町の美術館へ行ってきましたよ―と、よくいわれる。故郷の観光にも役立っているのかなと思い嬉しくもありホッとしています。」

平山郁夫

1930年6月15日豊田郡瀬戸田町に8人兄弟の三番目次男として生まれる。広島修道中学3年の8月、学徒勤労動員で作業中、原爆投下の瞬間を目撃、放射能を浴びる。11月、忠海中学(旧制)に転校。1947年東京美術学校(現東京芸術大学)日本画予科入学。52年同校卒。主任教授前田青邨に師事、東京美術大学美術部日本画家副手となる。

53年、同大助手。第三十八回院展に「家路」が初入選。55年(25歳)で東美同期生の松山美和子と結婚。59年、原爆放射能被爆で白血球減少。苦しみのなかで「仏教伝来」が院展で高い評価を受けた。当時の価格は40万円で、現在、長野県佐久市立近代美術館の重要な所蔵品になっている。

このころから仏教画の源流をたどるシルクロードへのテーマを広げた。1889~1895年と2001~2005年から東京芸大学長、96年から日本美術院理事長。98年、文化勲章受章。ユネスコ親善大使として「文化財赤十字構想」を提唱。文化遺産保護活動に尽力している。

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