英軍捕虜は何を見たか【12】第三章 因島大空襲

ケリー氏の写真による、7月28日空襲での土生造船所の被害の分析がつづく。ケリー氏は土生工場への空襲を目撃していないのだから、捕虜仲間に尋ねたり、連合軍資料を参考にしたに違いない。

さらに南にもっと大きな船2隻とそれらの間に小さな船。だがそれは、並んで繋がれている、造船所防衛の2隻の対空フリゲート艦に見える。

ハチドック(第8ドック)に一隻のタンカーがいる。土生工場の端にもうひとつの乾ドック(新1号ドックの一部)がある。その時は空いていたが、使用されており、そのころには4号ドックとして知られていた。長い建屋は工場群(パイプ、鉄板、機械工場、鋳造所等々)。そして完成半ばの船が船台に一隻、そしてタワークレーンと補助的な建屋。

下の写真は、そんなに遠く広がっていないが、それに写る船をより鮮明に捉えている。繋がれている船のひとつは(おそらく互いに並んで繋がれている2隻のうちの1隻)、8千から1万トンの「日寅丸」である。この船は、中央部に爆弾が命中し、ふたつに壊れた。小さな乾ドックにいたその船は、開いた昇降口に直撃を受け、上からの写真では、爆発で大きくねじ曲がってみえるに違いない。

私が最も注目したのは次の描写である。日本軍の上陸用舟艇やフリゲート艦が撃沈されたことを記しているからである。多数の軍人が死亡したことも書いている。

岸壁沿いに停泊していたもう1隻が沈められ、その隣の上陸用舟艇は転覆し、乗っていた大多数の人員を溺死させた。

造船所でただ1セットのみの二又クレーンが、折しも使用中だった船の上に崩れ落ちた。その船は、再艤装中の近ごろ進水したナンバー3311で、爆撃後再び浮上させられねばならなかった。

2隻のフリゲート艦はいずれも爆撃を受け沈没した。

私は土生と三庄の工場への空爆で、多数の軍人が死亡したことを推測していたが、活字の記述を読んだのは初めてである。九州の方から、「自分の祖父は軍人で、日立造船因島工場で戦死した」との連絡をいただいたことはある。工場施設にも大きな損害があった。

建屋自体に関しては次の最後の写真が、引き起こされた損害の証拠を提供している。手短に言うと次のようである。パイプ工場は言うまでもない。機械工場はいくつかの直撃を受けており、ひどく傷つき、大半の機械装置は壊れた。鉄板工場は損害を受けた。変電所が爆撃を受け、電気は数日間、供給できなかった。

他の施設も多くの爆撃を受け、実際のところ、ほとんど全てが使い物にならなくなり、例外は、奇妙なことに第八ドックと船台だけだった。

ケリー氏は7月28日空襲による死傷者の数を断定している。

死傷者に関する限りでは、400人(160人の死者を含む)。捕虜の死傷者はひとりもいない。労働力の5パーセントを占めていることを考慮すれば、注目に値する。

私はケリー氏の著作を読む前に、調査活動を通じて死者をおよそ200人と推測していた。造船所で働いていた者、ドック入りしていた船員、住民が犠牲になった。それに加えて造船所で軍務についていたかなりの軍人が死亡したと考えたのである。

残念ながらケリー氏は死者について数字しか提示していない。詳細を知りたいものである。

(青木忠)

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