英軍捕虜は何を見たか【11】第三章 因島大空襲

家老渡工場への空襲の描写はさらにつづく。

工場の側壁は、およそ5、6フィートまでがレンガか石壁でできており、その上方は屋根の高さまでガラスがはめられていた。

(外に出た時)空が機銃掃射や、爆弾投下中の飛行機で覆われていること、身を隠す場所がほとんどないことを見て私は、この壁際に身を投げた。空襲の最中としては、ガラス壁の際にいるより良い場所はあろうが、しかし、全く遮蔽物なしの戸外よりましだった。少なくとも私がいたのは、かぶりつきの特等席だった。

「かぶりつきの特等席」と皮肉を込めて表現しているように、ケリー氏の目前で空襲が展開された。

およそ40機から50機のアヴェンジャーが使われていた。これらは、機体下の開いた投下口から爆弾を投下する――小型爆弾を運ぶ戦闘機である。これらの航空機は、海から、多分20から30フィートの低空飛行でやってきた。それから機銃掃射をし、あるいは爆弾投下し、上昇して行った。

それは不愉快極まりないと同時に、わくわくする体験、見ものでもあった。

私がはいつくばったところからはカーブした沿岸線が見えて、実際に爆弾が投下され、三庄の目標に当たるのを目撃できた。しかし中間にある丘のせいで、土生造船所への主要な攻撃の結果は視界から隠れた。これが、頭上、そして低空をばく進する多くのアヴェンジャーの興奮をそいだわけではなかった。

7月28日の午前中、連合軍は日立造船所の工場を次々と攻めた。後に述べることになるが、主工場である土生町の因島工場に攻撃が集中した。さらに三庄工場と居住区が狙われた。そしてケリー氏がいた家老渡工場である。

家老渡にいた彼は、三庄工場がやられているのを視界にとらえたが、土生の工場で何が起きているのか見えなかったという。

この日の空襲は終わった。

それから突然、開始された時と同様にすみやかに空襲は終わり、アヴェンジャーは去った。驚くべき静けさが支配した。我々は集合した。

なおいっそうの攻撃の可能性があるなかで、皆が工場の庭の出口に行き、丘の上に向かうのをさえぎろうとする者はいなかった。我々は、土生の班が戻ってきて収容所に送られるのを見下ろすまでそこにいて、下におりて合流した。

土生の工場への空襲を目撃できなかったケリー氏は、後に手に入れた写真と図面をもとに、その状況の再現を試みている。写真は、連合国側の偵察機が攻撃直前に撮影したもので、工場内部が鮮明に写しだされている。日本人によって写された損害の大写しの写真も入手したという。図面とは、造船所の見取図である。

ケリー氏は、「7月28日の攻撃の話にもどると、その前のものに比べ今回は大成功だった」と述べたうえで、写真を分析している。

岸壁沿いに左から右(北から南へ)を見れば、互いに並んで繋がれた一組のかなり大きい船舶と一隻の比較的小さな船が接して海側に繋がれている。これらの南側がもう一隻の大きな船舶である。

2隻の小さな船が海側に繋がれている。そしてそれから、もうひとつの大きな船舶が、その船と岸壁の間に横たわる二隻の小さな船とともにある。その1隻が、後に言及する上陸用舟艇かも知れない。

(青木忠)

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